正月の十五日は小正月。元日を大正月というのに対して十五日を小正月と云った。「女正月」や「二番正月」などとも言われ、一月の十五日を中心に昔から農耕に関する様々な年占いや行事が行われ、どんど焼きなども行われていた。

昭和三十年代頃までは、小正月の行事として餅を撞いて賑やかにお祝いをしてきたが、最近では死語になりかけてしまった。

一月の十五日が成人の日であった頃は、振り袖や新調の服に身を包んだ若人で小正月らしさがあった。しかし祝日法の改正で成人の日が一月の第二月曜日になり、成人の祝いよりも休日重視になってからは小正月までも衰退してしまったように思う。

正月には家々の門に門松を立てて祝い、小正月にはだいのこ(大の子)という名の木を削って花の形にして飾り、お祝いやお祈りをした。そして小正月が終ると、子供達はその大の子の祝い棒で柿の木等の実の生る木の幹を叩いて「成るか成らないか…」等と唄いながら豊作を祈願したものだ。子供にも豊作や農の大切さを植えつける大事な行事であったのに、今では正月の門松さえも見られなくなってしまい、伝承される行事も葬られてしまい残念であり寂しい感じがする。

私の地区では、小正月は元服式の日でもあった。数え年十四、五歳になる男子はみんな元服式を行い、そして青年会の会員になって、はじめて大人の仲間入りが認められた。

二十歳が成人と決められ、十五日が成人の日になってもしばらく続けられていたが、社会情勢の変化から中学を卒えると地区外へ出ていく人が多くなり、青年会の会員も減って維持も困難となった。そして成人式と重なることもあって廃止になってしまった。

当時は、青年団活動が活発になってきた頃で、青年学級や研修会の話題として、昔からの因習である「嫁と姑」の問題や「元服式の存廃」がよく話し合われていた。元服式の廃止は社会状況からいってやむを得ないことだったが、昔からの伝承を断ち切るのは惜しむ声もあったように思う。

今でも、中学校で立志式としてその精神が受け継がれている処もあるようだ。原子力の時代でもあり、日々進化していかなければならないが、昔からの古き良きものにも心を置いていきたいと思っている。