川柳を考えていて困った時は、父や母のことをよく思い出します。
三十五年前に、五十四才で亡くなった父は、今の私よりずっと若かったはずなのに、色々な事を何でもやりつくしていた様です。
気に入るとギョーザを毎日食べ続けて「もう見るのもイヤ…」となったり、夜中に部屋の模様替えを始めたりと、同じ干支の私がなぜかそっくりです。
父の三十年の法事の時、名古屋のおばさんが「あんたが生まれた時、すぐにお父ちゃんが抱っこして家まで見せに来たんだよ」と話してくれました。
初めての子を慣れない手つきで嬉しそうに抱いて歩いている二十四才の父の姿が目に浮かびます。
母には「娘が生まれたら、赤いハイヒールをはかせ一緒に飲みに行くんだ」と話していたそうです。
二十才を過ぎた頃、父の友人がアメリカに行くからと羽田空港までお見送りに二人で出掛け、帰りに行きつけの店に寄りました。「みどりさん」という和服のお姉さん(?)が三味線を弾きながら色っぽい「都都逸」を歌ってくれましたが、さっぱりわかりませんでした。
私の想像していた銀座の洒落たバーではなくて少々がっかりでしたが、父らしいなあと今では思えます。
私のお気に入りの一句です。本当に今一緒に飲みに行けたら、どんな歌でも手拍子やらお皿たたいて盛り上がったことでしょうに…

 

 今ならば父の味方になれたのに   三根子

24才の父と母をアルバムに見つけました。ぼろぼろの写真ですが私の宝ものです。裏に父の字で書いてありました。「昭和23年1月2日 三根子 五カ月」24才の父

24才の父と母をアルバムに見つけました。ぼろぼろの写真ですが私の宝ものです。裏に父の字で書いてありました。「昭和23年1月2日 三根子 五カ月」24才の父

 

2012年6月号