霜石コンフィデンシャル117   髙瀬 霜石

 

「ダ ム は 無 駄 ?」

「ダムは無駄」 「談志が死んだ」

回文―和歌・連歌・俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの―と広辞苑にある。となると、この2つは短すぎて、回文とは言えないか。

題名は覚えていないが、昔見た大映の時代劇。市川雷蔵扮する主人公が、殿様から名前を尋ねられる。

「ハハァー。拙者、平一平と申します。上から読んで下から読んでも同じです」なんて言うと、殿様がクスッと笑う。それを見て、家来たちも一同大笑いするというシーンがあった。

何故この名前(たいらいっぺい)が、上から読んでも下から読んでも同じなのか分からなくて、ストーリーなんかどうでもよくて、ずーっとそのことばかり考えていた記憶がある。平仮名しか読めない頃から、映画館に入り浸っていたということになるか。

回文川柳というのも、あることはある。これでいい句を作るのは至難の技だから、僕は諦めた。

大好きで覚えている回文を紹介しよう。

「寝ているわたしにナニした悪い手ね」

こういうのを、お里が知れるっていうのだな、ウン。

 

秋の好日。建設中の津軽ダムを見学して来た。

アップルウェーブに、津軽ダムに関するラジオ番組がある。その感想を述べる会議が年に2、3回あって、今回初めて現場で会議・見学もあり、行ってきた。

ここは解放されていて、一般客も大勢いたが、こちらは津軽ダム工事事務所・谷田所長直々の説明付きだから贅沢。こういうのを、役得っていうんだなあ。

今年の夏も渇水でギリギリに危なかったが、去年の8月、目屋ダムの貯水量が0%になったのをご存知か。

津軽ダムが完成すれば―なにせ目屋ダムの約3~4倍の貯水量になるので―農家の方たちはもちろん我々も安心して暮らせるというわけだ。

中止が決定したのに再開した―まるで「ダムは無駄」の見本のような―なんとかダムとは大違い。津軽ダムは、正しく津軽の未来を担っているのだ。

「私たちはダムを作るのが目的ではなく、ダムができることで生まれる《湖》を作ることが最終目標なのです」の谷田所長の言葉に、ハラリ目から鱗が落ちた。

平成二八年完成予定の津軽ダム。そして生まれる「津軽白神湖」。2つの誕生前夜を目に焼き付けて来た。

 

2013年1月号