霜石コンフィデンシャル120   高 瀬 霜 石

 

「フィルムよ、さらば」

映画は総合芸術といわれる。

思えば、十九世紀までの芸術は個人プレイであった。

作家は原稿用紙の枡目をコツコツ埋め、音楽家は五線譜にオタマジャクシを遊ばせ、画家が絵筆を握りしめキャンバスと睨めっこしていたのだから。

二十世紀になって映画が発明され、これらが合体。

庶民は、またたく間にスクリーンの中へ吸い込まれた。

無声映画からトーキーへ。カラーになり、シネマスコープになり、映画はどんどん進化していった。それもこれも、フィルムがあっての話であった。

そのフィルムがもうすぐ無くなる ―というか、必要なくなる― のだそうだ。世はデジタル時代。映画もその例外ではない。ただ、デジタル化するには相当な設備投資が必要というから、小さな劇場は大変だ。

 

東京は銀座4丁目の交差点。そこから少し歩き、ちょいと路地に入り、小さな階段を降りると、そこは別世界。飲食店や理髪店が並び、昭和の風が吹いている「三原橋地下街」。そこに小振りな映画館が3つ並んでいる。「銀座シネパトス」である。

 

小さな劇場の小さなトイレ。3つ並んでいる便器の真ん中に立ち、用を足しながら、ひょいと目の前の壁を見たら、なにやらプレートが打っているではないか。

「ポップコーンは、日本では幕末より『炒りとうもろこし』として親しまれてきました。」

一読、なんじゃコレである。でも待てよ、ひょっとしてこれは「連続もの」なのかもしれないと思い ―幸い左右に人はいない― 身を乗り出して、まずは右のプレートを覗いた。

「ポップコーンって、映画館でしか食べないよなあ」

そうか、こっちが最初かと納得。ではと、左を見た。

「はじけようぜ、ポップコーン受付にあります」だと。

1人で笑いましたねえ。そしてここの劇場主のセンスに脱帽した。言っちゃあナンだが、こんな小さな劇場だからこそできるお遊びだろう。この3つのプレートのお陰で、なんだか得した気分になって劇場を出た。

昭和4年に架けられたという三原橋は、今春撤去される。それにともない昭和二十七年生まれの地下街は埋め立てられ、「銀座シネパトス」も閉館するという。

 

2013年3月号