毎度お世話になり、先ず御礼申し上げます。

大正最後に生まれ米寿となった爺ちゃんのつまらない世迷い言で御勘弁を願います。

青春時代を戦争で軍備の為と徴用令海軍工敵、そして最後の現役の兵士として鉄砲を肩にし、敢え無くも敗戦。復員で生まれ育った地に帰ってみれば焼け野原でした。それからは何もかも無我夢中で生きてきました。でも苦しみの中にも楽しみはあり、それが浜松の凧祭りでした。昔、浜松城主が長男誕生を祝って大凧(四帖~八帖)を揚げたのが起源となり以後450年余り浜松市民に赤ちゃんが誕生すれば祝い、成長を祈り初凧として中田島砂丘に集まり大空に揚げる風習となりました。

今では173の町が自分の町の印となる絵凧や字凧に生れた子供の名前を書き、天に轟けよと高く揚げ、他町の凧と糸を絡ませ糸切り合戦を行います。日暮れともなれば昼間の疲れも意とせず豪華絢爛な御殿屋台86台が市内の中心部を笛太鼓三味線のお囃子を鳴り響かせ元気に練り引き回しを行います。

浜松市民は老いも若きも男女も問わず、祭りに熱中堪能します。私も七十才過ぎまで五十年間、今では息子も孫も参加して居ります。

今年の祭りも五月三、四、五の三日間行われます。全国の皆様も是非御見物にお出掛け、そして充分に浜松っ子の心意気を味わって下さい。

 凧祭り天に轟けと熱入れる

 自慢する御殿屋台の引き回し

「吉祥如意」めでたい事が思い通りになる。

私も加齢と共に何かと不自由を感じる様になりました。でも大志だけは負ける事の無き様に頑張って居ります。

川柳に愛の手を引かれ、新しき誌友もたくさん出来、愚作も厭わず皆様の愛の笑顔に導かれ楽しさを味わって居ります。短詩文芸十七文字に穿ち、軽さ、滑稽、比喩等々多読多作を心しています。

 世の浅瀬手つなぎ渡る老夫婦

 まだ少しいたずらしたい米寿です   晴 康

 

 

2013年5月号