名刺、はがき専門印刷屋の小さな小さな店の中でSBSラジオを聴き乍ら夫婦仲良く…?仕事に励んでいたある日、ラジオから「今日の川柳のお題は…」と、上原アナウンサーの歯切れの良い声が流れて来ました。
いつもは聞き流していたのに、何故かこの日は題を聞き、咄嗟に一句浮かんだのでした。投句してみようか、でも怖い、恥ずかしい、やはり投句してみたいと思う気持ちが強くなり、ついにFAXをしてしまいました。なんとその日の大賞を頂き、それ以来、川柳どっぷりの日々となりました。
私のラジオネームは“ピーナッツ”。夫は“ピーナッツの亭主”でしたが、暫くして夫は“ひとり静”“シャロンのばら”とネームを変えて行きました。
お互いに送った句は絶対に秘密で、もはや夫婦というよりライバル同志でした。
その頃、年一回行われていたSBS川柳同好会には積極的に出席いたしました。私と同じようにラジオ番組をきっかけに川柳を始めた加藤鰹さん、林二三子さん、森下居久美さん、塚本夢迷人さん、増田久子さん、佐野由利子さん達に出会った事は大きな喜びであり、宝物であり、今でも親しくお付き合いさせて頂いております。
子育てを終えて得た川柳の世界はとても新鮮でした。
その後、浜松いしころ会へ入会、次いで静岡川柳社、川柳研究社へと入会をいたしました。SBSの川柳とは違う本格川柳に戸惑い、苦しみ、そして楽しみを見出し早二十余年が経ちました。
月日の流れと共に励まし合い、競い合った柳友のお名前も少しずつお見掛けしなくなりましたが、お顔や想い出ははっきりと浮かんで参ります。
昨年十二月に私の母が九十九才目前で逝った時
幾山河越えて白寿の舞い納め 征茶
夫が詠んだ句が店へ貼ったままです。夫は五月より病気入院治療中です。共に歩んだ五十年を振り返る事が多くなりました。すっかり老夫婦になりました。
たかねの皆様が各方面にてご活躍された記事と句を拝見して、なる程…と唸ってしまいます。
たかねの会員として皆様と歩んで行く事が出来幸せであり“川柳ありがとう”と感謝の日々です。
2013年10月号