霜石コンフィデンシャル85   高瀬 霜石

 

「張 り 子 の 虎」

 

二月に入ると、そろそろ去年の映画のベスト10が発表になり、主演賞、助演賞などもかまびすしくなる。

作品賞はともかくも、主演女優賞は、「ヴィヨンの妻」の松たか子が、ガチガチの本命だろうと、この映画を観て思った。そのことを、弘前ペンクラブ会長の齋藤三千政先生に電話で喋ったことがあった。

暫くして、先生が、陸奥新報の「文芸時評」《ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~を見て》の中で、なんと僕の話に触れていたので驚いてしまった。

――また、映画に造詣が深い見巧者の、しかも鋭い切れ味で、ユーモア精神にみちた映画評を本紙に連載している、川柳作家で、畏敬する高瀬霜石氏は「松たか子は、来年の賞取りレースでは、主演女優賞まちがいなしでしょうね。松たか子を観る映画でしたね」と断言する――と書いているではないか。

一読、冷や汗どっぷり。「見巧者」だってさあ。初めて聞く言葉・しかも「畏敬」しているんですよ。

「ウムー。あの齋藤三千政氏がそう申しておるなら、一見アホに見える高瀬某は、実は、マトモな奴かもしれない」とつい思う。これが「箱書き」の威力だ。

お帰りなさいと便器の蓋が開く   霜石

これ、去年、おかじょうき川柳社(蟹田)の「杉野土佐一賞」の準賞になった句だが、「何これ?」とか、「こんなエパダな句が入選?」と誰もが思うはず。作者の僕も、エッ? 準賞? と驚いたものだった。

選者の一人で、柳界では論客で名が通っている。名古屋のなかはられいこが、こんな評を書いていた。

「この作品は、おかしみとかなしみが微妙に混ざり合い、そのうえ人肌のあたたかささえ伝わってきて、とても魅力的であった。この便器はたぶん、センサーで蓋が開くタイプなのだろう。こんなこじゃれたものがあるくらい豊かな生活でありながら、「お帰りなさい」と迎えてくれるのは便器の蓋なのである。家族は不在なのか、それとも帰ってきたひとに関心がないのか、どちらにしてもかすかな諦めを含んだ孤独感も、ラストノートのように最後に残るあたたかみも、そのいずれもが《かすか》なところが上品であると思う」

彼女の「箱書き」が付いた途端、便器の蓋が饒舌になるから大変だ。作者の僕も《まんざらじゃない》と思うようになった。「箱書き」の魔力は凄い。