霜石コンフィデンシャル128   高 瀬 霜 石

 

「 六 十 四 歳 に な っ た ら 」

9月の末に六十四歳になった。

誕生日のプレゼントの催促ではない。読者には、だからどうしただが、僕には、そして多くのビートルズファンにとっては、六十四歳は特別な歳(数)なのだ。

デビュー・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」(1963年)は、十時間で十曲レコーィングしたという、いわば一日でできたようなアルバムだった。

そのわずか4年後の1967年、彼らはアルバム1枚の製作に700時間を費やすようになる。それが「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」だ。タイトルも長いが、製作期間も約5ヶ月。なにからなにまで(ジャケットも奇抜で)規格外のこのアルバムは、世界中に衝撃を与えたのだった。

新しい曲作りに挑戦し異色作がズラリと並ぶこのアルバムの中に、ポール・マッカートニー作「ホエン・アイム・シックスティフォー」(六十四歳になったら)という、伴奏にクラリネットを使ったビートルズ初の試みのデキシーランド・スタイルの曲がある。

当時高校生だった僕には、映画「2001年宇宙の旅」と同じ位に、六十四歳は遙かに遠い未来であった。

 

「ホエン・アイム・シックスティーフォー」

僕が年をとって 髪の毛がなくなっても

 君はまだ バレンタインのカードや誕生日カードや

 ワインなど 僕に送ってくれるだろうか

● 君はまだ 僕を必要としてくれているかなあ

君はまだ 僕に食事を作ってくれるだろうか

僕が六十四歳になっても

 僕は器用だから 停電した時に

 ヒューズを直してあげるよ

 君は暖炉の側で セーターを編んで

 日曜日の朝は ドライブしたり 庭いじりしたり

● 繰り返し

 

 

ポールが十六歳の時にピアノで作曲したものを、ジョンレノンが作詞を手伝って完成させた曲。

当時ポールは二十四歳。僕は十八歳。そして時は流れ、ポールは七十歳、僕は六十四歳になったというわだ。

六十四歳、六十三歳でも六十五歳でもなく、なぜ六十四歳かというと、ポールのお父さんが、その時六十四歳だったからだとさ。

 

2013年11月号