今年の松が取れない内に私の師匠が他界しました。九十三才で年賀状も頂き、まだまだ元気が溢れている内容で安心していましたが、急な連絡に驚きました。私が川柳を始める切っ掛けを作った人であり、私の雅号に“可福”を付けてくれた人でもあります。

もう二十年以上前の事ですが、師匠とはマンションの理事会での言い争いが元で知り合いました。私は理科系の脳しか持って居らず、理屈に合わない事が大嫌い。読む本はほとんど科学技術書か歴史書でした。小説などは所謂作り話だし読むに値しないと考えていました。しかしその時、「君みたいな奴を専門馬鹿という」「物作りする人間。たかが十七文字でお話が作れないようでは、やっぱり片寄っていると言わざるをえない」「日本伝統の五七五も理解出来ないのか」と言われ「五七五位は知ってますよ」と反論。長い文章を書けとは言ってないし出来ない話じゃないなと思い、この程度で「専門馬鹿」の汚名が晴れるならと思い句会に参加するようになりました。

 

やってみれば小学生でも出来る川柳。幸いにも指が十本も付いているから楽なものと思っていましたが、なかなか適切な言葉を選ぶのが難しいし、物語を十七文字にすることが出来ません。

どうしたらよいのでしょうか。句会で自分の作品が誉められていると誰でもうれしい。誉めてくれた人には親近感が湧きます。しかし師匠はなかなか誉めてくれません。

川柳は、人に教えられ作るものではなく、自分自身の感情、観察、意見など個性を発揮し、自分の目標を高く志を持つ事だ。目標とする柳人の句を鑑賞し、血や肉になるものを吸収することだと言って師匠は何も教えてくれませんでした。技法などを教えてもらった事も一度たりともありません。

いやいや川柳に対しての心構えを丁寧に教えて頂いたという事でしょうか。師匠は手を取ってこまやかに教えてくれるとは限りません。川柳の師匠と仰ぐ人がいなくても、絵画や音楽、読書などいずれもが自己成長の良き糧になり師匠の代わりになることでしょう。

 

今私はネット句会を運営しています。そこに投句される方々や毎月のたかね川柳誌に出句される方々が今の私の師匠です。素晴らしい句をひねり出す人、言葉を何処かで借りた句を出す人、大会の句を焼き直しして出す人。それぞれが心を励ましてくれたり自戒の波調を照射してくれる作品の数々に自分自身が磨かれ、楽しくもあり感謝しているのです。

 

2014年4月号