後にも先にもあんなに怒った父を私は見たことがない。父は、釣りと中日ドラゴンズをこよなく愛す、怒るととても怖い素敵な人であった。

仕事が忙しい父は、休みが取れても子ども達はそっちのけで釣りに出掛け、たまに家にいても、釣り竿作りに専念していて遊んでくれやしない。よくそのお手製の釣り竿自慢をしてくれたが、私にはその良さが全く以って分からなかった。

 

当時の我が家は土壁の古い借家で、ぼっとん便所。「恥ずかしくて友達呼べないよ~」と泣いたら、「よし!宝くじが当たったら、家を建てような」と、宝くじなんて買いもしないくせに言ったりするとぼけた父だった。

私は小学生の頃、些細な事で父を怒らせてしまい、拳でしこたま殴られた。

 

あの日私は親に預けたままになっているお年玉を奪還すべく、引き出しを漁り、まんまとポチ袋を見つけ、岩倉具視と伊藤博文との感動の再会を果たしてした。バレてはまずいのでひとまず彼らをズボンと腹の間に匿いTシャツで隠した。

すぐに遣うと足がつくので、その日はそのまま過ごし、おやつを食べ、ジュースを飲み、トイレに行った。ズボンを下ろし、私は思わず叫んでしまった。「あっ!」

 

ヒラヒラとぼっとんの闇に舞い落ちていく彼ら。岩倉具視がいつもより青ざめて見えたのは言うまでもない。

「どうしよう…」幼い私は考えた。とりあえず弟たちを呼びつけ懐中電灯で照らさせ、父の釣り竿を持ち出し、突っついてみた。「取れない…」そうだ!釣り針で引っ掛ければ取れるはずだ!「取れない…」そうだ!ガムを先に付ければくっつくかも!「取れない…」そうだ!釣り竿をもう一つ持ってきて長い箸みたいに使えば取れるぞ!私は弟に、釣り竿を取って来る様に命じた。

「兄ちゃん、持ってきたよ!」振り返ると、嬉しそうに釣り竿を持つ弟の後ろから、不思議そうに便所を覗く父。律儀な弟は、わざわざ父に釣り竿を借りる事を断った上に連れて来てしまったのだ。

 

こうして私は、些細な事で父を怒らせてしまい、拳でしこたま殴られた。

殴られたショックからか、この後の記憶が定かでなく覚えていないが、ヒラヒラ舞って運を付けた彼らはどうなったのだろう。

父は彼らを救ってくれたのだろうか…。今度父に聞いてみたい。

「そうだ、お墓参りに行こう!」

それにしてもこのエッセイを私に依頼した鰹さんが後悔してないか心配だ…。

 

2014年7月号