霜石コンフィデンシャル136   高 瀬 霜 石

 

「無芸(蕎麦)大食」―四枚目―

 

作家の菊池寛(本名はヒロシ)は、寡黙の人であった。名前をもじって「くちきかん」とも呼ばれた。

香川県高松生まれの彼は、明治四十三年、一高(後の東京大学)に入学。近所の蕎麦屋に入った。

壁の品書きを見ると、一番右側に「もり/かけ 五錢」とある。これが一番安いと知った彼は、迷うことなくこう注文した。

「その「もり/かけ」というのをひとつくれ」

声を聞いた蕎麦屋の親父は、ピンときた。

この貧乏学生は、もりとかけの区別がつかない。ということは、蕎麦を食ったことがないからだ。

関西方面か、南の方の四国、九州あたりのいわゆる、うどん文化圏から来たに違いない。親父は熟慮の末、熱い「かけうどん」を彼の前にすーっと差し出した。

彼はすこぶる喜んで食し、それからもちょくちょくやって来て、同じように注文した。親父もそれに黙って応じ、毎回、熱いかけうどんを供したという。

菊池寛が、もりとかけの違いを知り、その蕎麦屋の親父の心意気、優しさを知ったのは、それからだいぶたってからのことであったという。

 

僕は、学生とサラリーマンで6年、東京に住んだ。近くに「蕎麦処・長寿庵」がありよく通った。菊池寛ではないが、普段はもっぱら右端(安い方)の「大もり」専門。寒い時や二日酔いの時は「かけ」を頼んだ。

左端(高い方)には「天婦羅そば」と「天ざる」が、まるで東西の両横綱のように構えている。

ある日、気づいた。両横綱から少し間を置いた所に、ポツンと「そばがき」とあるではないか。

なんなんだろうこれは?とにかくコイツが長寿庵で一番高いメニューらしいことは分かった。よーし、いつの日か食ってやるぞ。待ってろよと心に誓った。

初めてのボーナスを手にした日曜日の昼。満を持して長寿庵に出かけ、普段より元気のよい声で注文した。

「ビールと、そばがき、頂戴な」

目の前にうやうやしく置かれた丼の中を覗いて、危うく声を出しそうになった。餅みたいなコノが、ちょこんと鎮座しているだけ。初めて食ったそばがきは、不味いものであった。だって、大枚を払うのに、天婦羅のひとつも付いてなくて、しかも天ざるより高いんだものさ。これは詐欺だと、心の中で叫んでいた。

 

2014年7月号