霜石コンフィデンシャル138 高 瀬 霜 石
「無芸(蕎麦)大食」―六枚目―
蕎麦好きが蕎麦屋の暖簾をくぐる。頼むのは大抵「もり」である。店によって呼び方は様々だ。
四角や丸い蒸籠に持って出す店は「せいろ」と呼び、笊に盛って出す店は、文字通り「ざる」である。
一般には「ざる」だと上に海苔がかかっている分「もり」よりちょっと値が(50円~100円)張るか。
いいや、海苔だけの話ではない。そもそも「ざる」と「もり」の違いは、つゆそのもののレベルが違う。
つまり「ざる」には一番出しのつゆを使い、「もり」の方は二番出しのつゆを遣うとのたまう本格伝統派もあれば、ウチは「ざる」と「もり」はそもそも「盛り(量)」が違うからという正直実践派もある。
東京のとある有名蕎麦屋にはじめて行き、決して安くはないつまみで―板わさとか卵焼きで―一杯やって、待ちに待った「ざる」が出て来た。
なんと、ひっくり返った(反対になった)笊の上に、蕎麦がほんのちょっぴりだけ盛られているではないか。
松田優作風に言えば「なんじゃコリャー」である。
蕎麦を盛る笊って、普通、凹状態で使うでしょ。ここのはなんと、凸状態の笊に盛られているのだ。
確かに水切りは完璧だろうが、しかしだ。凸の笊に載っている蕎麦は、ひーふーみーと本数を数えられるほどだ。なにをカッコつけてるのだと言いたくなった。
浅草に、食に関するあらゆる物を扱う専門店が、約170店舗も立ち並ぶ「かっぱ橋商店街」がある。
僕は蕎麦は打てないが、蕎麦打ちが趣味の友人が、いつ蕎麦を届けてくれてもいいように、心の準備―いい笊とか、こじゃれたそば猪口とかの用意―をしておくために、いろいろな店を覗いて歩いた。
笊の専門店に行って、ご主人の笊の蘊蓄を聞いた。
笊の表は、竹の表面(ツルツルしている)を使うから水はけがいいのだと。安い笊は、竹の中身を使っているので、白くて一見清潔そう。でも、水は全く弾かないのだそうだ。実家の台所の奥に眠っていたりする古い笊。それこそが本物の笊なのだと教えてくれた。
その時、思い出した。あの蕎麦屋の、あのひっくり返っていた笊のことだ。
「あー、あれね。あの笊は、あえて笊の裏に竹の表を張ってと頼まれた特注品です」と主人は答えた。
2014年9月号