東京オリンピックが開催され、夢の新幹線が開通し、都はるみがデビューをして、日本中が盛り上がっていた昭和三十九年に僕は生まれました。(都はるみは別にどうでもいいだろ?笑)そして、この十一月十七日にめでたく五十才になります。

子どもの頃、四十才はおじさん、五十才はおじいさんだと思っていましたが、実際自分がこの年になってみると、まだまだ青臭いガキンチョだなあと思います。

ラジオ投稿をきっかけに川柳を始めたのは二十五才の時。初めて静岡県川柳大会で選者を務めたのが二十九才。オール川柳(現在の川柳マガジン)で新人賞を頂き五万円貰ったのが三十五才の時(その頃の川マガは太っ腹だった)。「川柳界のプリンス」「若手の有望株」などと呼ばれましたが、あれから二十五年(きみまろ風味)まったく成長していない自分が情けない。もっとも体重だけは十キロ以上成長してすっかりビールっ腹おじさんになりましたが(笑)。句を作っていても「以前作ったことがあるような句だなあ」と思ったり、昔の作句帳を見ると今よりずっと斬新だなあと感じたりして。

 

毎月、冊子の発送作業にはスタッフが集まってくれるのですが、昨年作業中に望月弘さんが「来年500号を迎えるねえ」と言い出しました。あ、そうか。こりゃ何かやらなければならないね。久々に誌上大会でもやろうか。やるからには盛大に、派手な花火を打ち上げようよ。と、こんな軽いノリで誌上大会はスタートしました。選者も大結社の代表というよりは、現在の川柳界で自らも作句してガンガン入賞しちゃうような実力者十七名を揃えました。前回の誌上大会の時は300名の方々が投句参加して下さったので、今回は大きく参加者500名を目標にしたものの、締切一カ月前になっても200名弱しか投句が集まらず、青くなりました。

 

快く選者を引き受けて下さった先生方に申し訳なく、こりゃあ企画倒れかな?と思った矢先、大野風柳先生や小島蘭幸先生、真島久美子さんらが「大丈夫、みんな締切りぎりぎりにならないと出さないから。心配しなくても集まるよ」と励まして下さいました。その言葉の通り、締切日が近づくにつれ序々に投句が増えて来て、フタを開けてみれば750名以上もの参加者があり、嬉しい悲鳴を上げました。皆さん、投句は早め早めに出すようにしましょうね。え?お前はどうなんだって?言われてみれば自分も毎月ぎりぎり作句組でした(苦笑)

自分が半世紀生きてきた節目に、そして川柳たかねが500号を迎えるこの時を、こんなに多くの皆さんと共有できる事が本当に嬉しいのです。川柳バンザイ!

 

 

2014年11月号