静岡市   加 藤  鰹

皆様あけましておめでとうございます。穏やかでいいお正月を迎えていらっしゃいますか?

 

昨年は国民文化祭という大きな行事があり、静岡県内の川柳結社が一丸となって、また長泉町役場の皆様の多大なご協力を頂き川柳大会の成功を収めることができました。心より感謝申し上げます。

また、全国各地にいる当吟社誌友の皆さんも青森から、四国から、関西から、遠路はるばるよく来て下さいました。お会い出来て本当に嬉しかったです。

 

さて、十一月末の定例句会に、たかね川柳会創設者のお一人でいらっしゃる村田邑路先生をゲスト選者としてお迎えしました。先生は現在、静岡市内の「しずはた川柳会」の代表をしていらっしゃいます。脚が少し不自由ですが、とても九十五歳とは思えない顔の艶で、川柳界の懐かしい思い出話を語って頂きました。

先生の話を要約しますと、戦前、東京「きやり吟社」の流れを汲む伝統系川柳「静岡川柳社」の句風に飽き足りなくなった若者たちが飛び出して作った結社が「やまびこ川柳会」。その後、戦争になり、会は一時休止状態になりますが、戦後またその仲間が再集結して

「やまびこが富士の高嶺に届くように」との思いを込めて「たかね川柳会」と改名されたのだそうです。

句風としては、東京「川柳研究社」の流れを汲み、川柳六巨頭の一人である川上三太郎氏が毎月のように指導に訪れていたとのことでした。

 

正直、私が平山虎竹堂氏(故)から、たかね川柳会代表のバトンを受け取ったのが平成十五年の一月ですから、今月で丸七年が経つわけですが、その辺りの話(たかね川柳会の歴史、名前の由来など)を聞く機会は一度もなく、驚くことばかりでした。

これで、誰に聞かれても自信を持って答えられます。「たかね川柳会の名前は、富士の高嶺から付けられた」「ハッキリとした創立年は解らないが戦後と共に復活・改名と考えれば六十二年の歴史がある会」素晴らしい歴史のある会です。皆さんもたかね川柳会の一員であることに誇りを持って下さいね。

句風に関しては初心者もいればベテランもいる。伝統川柳も詩性派もいる。マスコミ川柳もサラリーマン川柳もいる。たかね川柳会は、そんな様々な川柳や人がワイワイと集う広場でありたいと思っています。

今年もどうぞ宜しく御指導お願い申し上げます。