霜石コンフィデンシャル92   高瀬 霜石

 

「風 天 の 寅 さ ん」

「川柳って何?」と、よく聞かれる。「川柳って、一言でいうと、寅さんの映画のようなものと思ってくださいな」と答えている。

映画「男はつらいよ」の冒頭の名セリフ。「生まれは葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」を知らない日本人はいないだろう。

寅は、美女に真面目に恋をする。一生懸命である。しかし、最後は振られることを、家族も、観客も知っている。スクリーンから、人間の喜怒哀楽が弾ける「男はつらいよ」は、まさに川柳的世界そのものと言っていい。

渥美清が亡くなって、もう十四年がたつが、人気は衰えない。永遠に不滅な黒澤明関連本に負けないくらい、山田洋次監督と俳優渥美清に関する本も、本屋の映画コーナーに何種類も並んでいる。

彼のプライベートは謎に包まれていて、経歴もさまざまな説があり、そのどれもが面白い。少年時代は結構ワルで、警察に補導された時のこと。その時の刑事に「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより、役者になれ」と言われたことが、役者を目指すきっかけになったというが、さて本当か。

彼は、公私混同を非常に嫌った。タクシーで送られる際も、この辺りでと言い、自宅から離れた場所で降りるのが常。山田洋次や、長年親しかった黒柳徹子、親友の関敬六でさえ自宅も個人的な連絡先も知らなかった。

長男の田所健太郎はニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に「父・田所康雄―職業・俳優」と書いたので、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていたら、後に彼の父親、渥美清が来社したので、皆、仰天したという。その長男が公に顔を出したのは「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という遺言を守り、家族だけで密葬した後のことである。

 

渥美清が俳句に親しんだのは、意外に知られていない。俳号は「風天」。「渥美清句集 赤とんぼ」という句集も出している。タイトルはこの句からとった。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする  風 天

この赤とんぼは、フーテンの寅その人なのだろう。どこへ飛び立っていくのか分からない風来坊の心を詠んでいるのだろう。

そんなシャイな彼に、あろう

ことか、没後、国民栄誉賞が贈

られたのをご記憶だろうか。

天国の車寅次郎は、苦虫を噛

み潰したような顔で、「政治家っ

てのは、何とも無粋な輩だねえ」

と呟いたはずである。

命日は1996年8月4日

(享年68歳)