フキノトウを採っていたら、日だまりに、白い綿毛の葉に黄色のごく小さな花が咲いていました。ふと亡き母を思い出して、思わずうれしくなりました。忘れもしない母子草(ははこぐさ)でした。

朝から晩までいつも畑で働いていた母は、長い髪を後ろに結んで、かすりの野良着を着ていました。わたしと弟たちがおなかをすかせて学校から帰ると、何も無い時代なのにジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモと季節ごとにいろいろと収穫したものをゆでて待っていてくれました。母のおかげと今にして思います。

お米だけのご飯はそんなになかったけれど、ひもじい思いもしませんでした。父が勤めから帰るころにはご飯の支度をして待っていて、子だくさんで苦労も多かっただろうに何一つ愚痴も言わぬ母でした。

春にはフキノトウ、フキ、ワラビ、ミズ、秋にはキノコ、山グリと上手にあく抜きをして食べさせてくれました。わたしも見よう見まねで、山菜を採るのも食べるのも好きになりました。今更遅いのですが、少しの畑を耕して野菜を作り、生涯働いて母のように生きたかった。

たぶん幸せだったと母をしのんでいたら、日も傾き、夕焼け小焼けになってしまいました。

 

母 の 短 歌

風景に野良着の母の解けており

無事な一日の夕焼け小焼け

見上げればふるさとあたり頑張れと

星の瞬く母のウインク

 

母 の 川 柳

八人産んで母を喜劇を演じ切る

煮大根じんわり染みる母の愛