霜石コンフィデンシャル96   高瀬 霜石

「吾輩は情っ張りである」

前回、僕の名前の「霜石」の由来を書いた。

日本一有名なあの文豪と同じ音だから、とてもメグサク(恥ずかしく)思っているとも書いた。

この名前、他人様に覚えて貰える《得》もあったが、まさかあの文豪と同じ音であるはずがないから、きっと「シモイシ」と読むのだろうかとか、「雫石」と誤読していた人も結構いた。漱石に詳しい方、教養のある方から見れば、下品な名前と思ったに違いない。

「漱石」の由来は、古い人たち(明治、大正、昭和の1桁生まれの人々)は誰でも知っていることだったらしいが、新しい人たち(昭和2桁生まれ、平成生まれの人々)には、案外知られていないらしい。

知っている人には釈迦に説法だが、知らない人も結構多そうだから、あえて「漱石」の由来を紹介しよう。

このペンネームは、中国の晋の時代、秀才の誉高かった孫楚(そんそ)のエピソードが綴られている「孫楚伝」からきている。孫楚が若いころ、隠遁しようと決意し、親友の王済に、俗世間を離れて自然に親しむという意味で使う「枕石漱流」という言葉を間違えて「枕流漱石」とつい言ってしまったことに始まる。

正しい方の「枕石漱流」の解釈は、浅学非才な僕でも字面で分かる。「石に枕し、流れに口漱ぐ」ってことでしょう。ところが、友人の王済は間違った孫楚にすぐ追い打ちをかけて、「流れは枕にすべきにあらず、石は漱ぐべきにあらず」と言ったんだそうな。なんともイヤミな奴である。

言われた孫楚は負けず嫌い。すかさず「流れに枕するのは耳を洗うためであり、石に口漱ぐのは歯を磨くためである」とこじつけた。

このことから「枕流漱石」は、「負けず嫌い」とか「へそ曲がり」という意味に用いられた。生来つむじ曲がりで、負け惜しみが強かった漱石は、この話にいたく共感し、ペンネームに用いたという。

後年、漱石は「俗な号ではあるが、取り替えるのも億劫だから、そのまま用いている」と語っていたというから、巷でポピュラーな名前だったのだ。

渋柿園俳句会代表の藤田枕流先生の名前も、このエピソードからきているのだろう。実は僕は、先生の名前を「沈流」と思い込んでいたのだ。これだと、先生は枯れ葉か、金槌である。お詫びの言葉もない。