霜石コンフィデンシャル97   高瀬 霜石

「アナログ年代記」―地デジ編

地デジの宣伝は、もううるさいのなんの。

政権交替した時、大いに期待した。党員の中から「地デジはおかしい。弱者に優しくない。そもそも、ゴミ問題からして…」なんて議論が百出すると予想したが、ペケだった。こんな句を、最近作った。

デジタル・デジタル・デジタル うるせーじゃ 霜石

7月の歴史的な日。「テレビが映らなくなる日」までギリギリ、とにかく抵抗しようと、同居人に同意を求めていたのだが、彼女は存外脅迫に弱かった。長年一緒に暮らしても、分からないことは分からない。人生は正に謎だらけで、誠に素晴らしい。

「あーやって、毎日テロップで脅されるのはもうウンザリ」と簡単に兜を脱いだのには、正直驚いた。

大蔵省―今は財務省か―の彼女が出費を決断したのだから、僕に異論のあろうはずもないのだが、今のでっかいアナログテレビには、ポイ捨てできない愛着があるのだ。

僕は、三度の飯とおんなじくらい映画が好きで、大体はリアルタイムで映画館で観る。でも、見逃したヤツとか、古い映画なんかを、家でゆっくりDVDで観るためには、大きいテレビが欲しいでしょ。

そこで当時、僕は家の小さなテレビに、毎日毎日「壊れろ、壊れろ」と呪いをかけたのだ。それが功を奏して、電気屋の展示会のお知らせが届く頃、ちゃんと壊れてくれたのだから、僕はイタコかも知れない。

そして来たのが、今のでっかいアナログ君だから、僕には義理があり、そう簡単には捨てられないのだ。その点、女はクール。スパッとしたものだ。

一番町にある電気屋の社長とは長いケヤグ(友達)だから、ウチはなんでもナショナル製品―今はパナソニックか―なのだが、困ったことに(?)僕の甥っ子が、なんと天下のソニーに就職したから大変だ。彼がこう言った。

「社員価格で安く買えるらしいから、伯父さん(僕のこと)の地デジは、当然ソニー製品ですよねえ」

僕は突然、「友情」と「血縁」の板挟みになってしまい困った。新しいテレビは、やっぱりきれいで便利。ビデオがわんさか溜まらないのがいい。

同居人は、まるで鬼の首を取ったかのように「もっと早く決断すべきだった」と得意気に言っている。