霜石コンフィデンシャル98   高 瀬 霜 石

「アナログ年代記―湯タンポ編」

毎年、1月2日。高校の同級生が集まって、朝の8時半から、夕方5時過ぎまで麻雀をやる。

昔は炬燵で卓を囲んでいたが、今は寄る年波には勝てず、腰に優しい雀荘の椅子にお世話になっている。

今年は、なんと四十回目の記念すべき年で、東京からも参加者があり賑やかだった。こういう節目の大会に滅法強いのが、オホン、何を隠そう僕。

若い頃ギックリ腰をやって以来、普段からとても気をつけている。フッと気が抜けた時に―5年に1回くらい―『悪魔のようなアイツ』が忍び寄って来るのだ。

麻雀大会では、確かに張り切った。その次の日、ちょっと腰の塩梅が悪かった程度で、今までの経験上たいしたことはないと判断、普通に過ごし、普通に寝た。

朝起きて愕然。僕は丸太ん棒になっていた。そう、アイツが一日遅れでやって来たのだ。2、3日安静にして湿布していれば、アイツは立ち去るはずなのに、来るのが遅かった分、去るのはもっと遅く参った。

長引いた時は、とにかく温めるのがいいと、同居人がどこからか聞いてきたので、彼女の愛用の湯タンポを拝借した。なんと、あずましいことか。

電気毛布などのように、布団全体が暖まるのではなく、毛布の中に、なんというか、熱い所やほんわかな所やひょいと冷たい所があって、えも言われぬ空間ができあがる。これがまあ、なんとも楽しい。

これって、僕が思うに「たまごまんま(玉子かけご飯)」の世界と瓜二つなのですよ。

普通は、生卵に醤油をちょっと垂らしてかきまぜて、それを熱いご飯にぶっかける。そしてまたかきまぜて、かっこむ。美味は美味だけれど、茶碗の中の全部が同じ色、同じ味だ。これは正直つまらない。

僕のスタイルは、ちと違う。玉子の白身が半分くらい白くなる程度に、少し暖めるのだ。後は一緒。

トロリの黄身と、少し固まったツルリの白身と、生のまんまのドロリの白身と、お互いが自己主張しあいなかなか混じりあわない。そこがいいのだ。

一杯の茶碗の中で、いろいろな配合が味わえてとても楽しい。湯タンポの世界と似てるでしょ。

同居人が、僕のために弁当箱くらいの小さな湯タンポを買ってくれた。僕は「ポン子」と名付けて、毎晩閨を共にしているが、そろそろお別れである。