地震があった時、私は友達とのんびり日帰り温泉を楽しんでいました。十五時のバスをロビーで待っている時、あの大きな地震が起きました。建物が爆発するのではないかと思うような大きな揺れで、ゴーゴーと地鳴りがしました。長くて大きな地震は初めてでしたので、終ってもまるで夢を見ているようでした。

バスは時間通り来ましたが、信号機が止まっていて、停電だとわかりました。

自宅の玄関を開けたとたん、靴箱の上の置いたものが落ちて壊れていました。それでも一階は異常なし。二階はいろいろなのものが棚から落ちて、散乱していて、改めて今回の地震の大きさが分かりました。

その後、毎日毎日大きな余震が何回もあって、生きた心地がしませんでした。その時は停電で、テレビも見られず、あんな大きな津波が起こっているなんて、知るよしもありませんでした。

娘と息子夫婦は、マンション暮らしで、タンスが倒れ、茶碗は割れて足の踏み場もないので、私の家に避難してきました。 それから二週間、九名(大人五名、孫四名)の生活が始まりました。三~四日で、電気がついたので、水もガスもすぐだろうと軽い気持ちでいましたが、現実は甘くありませんでした。

 

水、ガスが出ない生活は想像以上に大変でした。復旧するまで、ガスは一ヶ月以上かかりました。水は近くの学校で、ペットボトルや大きな容器に汲むのですが、重たくて運ぶのは毎日の重労働でした。

もちろん、雨水も溜めたりして使いました。

お風呂にはなかなか入れず、十日ぶりぐらいに銭湯に入れたときは本当にほっとしたものです。

変な話ですが、今回地震があったおかげで、なんでも節約をするようになりました。

しかし、津波で犠牲になって家族や家を失った人のことを思うといまだに涙が止まりません。

今回の地震で川柳の友が津波の犠牲になりました。「さっちゃん、あなたの分も川柳がんばるね」

★一瞬に人生変えた大地震  義 子

でも、世界中の人から、義援金やたくさんのボランティア、自衛隊の人たちの働きぶりを知る度に、感激の熱い涙が溢れ出ます。

今、それぞれが一歩一歩、復興に向かって頑張っています。そして、全日本川柳大会も予定通り六月十二日に仙台で開催されます。がんばっています。どうぞたかねの皆さん。いらしてくださいね。

★復興の音を聞いてる猫柳  義 子