今年もやっと暑さが峠を越え、法師蝉(つくつく法師)が鳴き始めた。子供の頃、この“ツクツクホウシ・ツクツクホウシ”そして鳴き終わりの“ツクリンヨーシ”を聞くと、何となく『あーあ、夏休みも終わりか…』と溜め息まじりの淋しさを覚えたものだった。その頃の蝉には、夏の舞台に個々の演目があった様な気がする。

まず、五月の終わりから六月の初め“にいにい蝉”の鳴くというより、少し控え目なエチュードでスタートする。この蝉は、小型で羽も胴も地味な色で木の幹の色に紛れて止まっている。まるで忍者のような姿だ。声も小声で“チー・チー”と鳴くので“ちいちい蝉”と呼んでいた。

そして、次に現れるのが、この辺りでは一番大型の“くま蝉”。胴が真っ黒で、羽は透き通っている。とにかく、この蝉は数も多いが泣き声が喧しい。朝早くから“シャン・シャン・シャン・シャー”と繰り返し鳴く。この蝉は、鳴いている間はなかなか逃げようとしない。ただ、逃げ時沢山のおしっこを掛ける特技をもっている。子供の頃、蝉とりに行ってよく掛けられたものだ。

次に少し遅れてデビューするのが“アブラ蝉”。正に盛夏のエースといったところ。胴は黒みがかった色、羽は焦げた油色。いかにも暑そうに“ジリ・ジリ・ジリ”と鳴く。プラタナス、柳、夾竹桃の木などでよく見かけるが、この蝉の数が近年減ってきたように思える。お盆が過ぎ、立秋の頃になると前述の“つくつく法師”の出番になる。

つくつく法師が『夏はもう終わりだよ~ん』と言っている様だ。この蝉も神経質で“ツク・ツク…”と鳴き始めのうちでないと、なかなか取れなかったことを覚えている。

また蝉の中には、出現時期の定まっていないものもいる。まず、“みんみん蝉”。芭蕉の「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」も多分“みんみん蝉”であっただろうと推測されている。市街地でも時折聞かれることがあるが、深山の峡の道を行くと“ミーン・ミンミン・シャー”のリズミカルな鳴き声が谷を渡って聞こえてきて何となく気持ちが澄んでくる。最後に“ひぐらし”が木立の裏側の闇で鳴く。“カナ・カナ・カナ…”の声から“かなかな蝉”とも呼ばれ、その声は一寸淋しげで、時に別れの思い出に浸ったり、ひとり詩人になる時でもある。蝉の声に淡いノスタルジーを感じるのは私のセンチメンタリズムかも知れない。

ただ、残念ながら、これも地球温暖化の影響なのか、どの蝉も数が大分減り、夏の舞台への登場もずれているのが気にかかる。蝉にとっても、やはり住みにくい世界になっているということか?

“つくつく法師”の声にも何となく『あーあ、つくづくこの世が嫌になっちゃったなー』とも聞こえる。この地球上の自然を壊しているのは人間に他ならない。『あのCO2、25%削減、いったい何処にいってしまったの?』蝉たちの声が聞こえる今日この頃である。