霜石コンフィデンシャル104   高 瀬 霜 石

「白米狂詩曲④(―駅弁よコンニチハー)」

僕は駅弁ファン。旅に出ると必ず買う。

デパートの《駅弁祭り》も混んでいる。ただ最近のモノはやたら豪華に過ぎて如何なものかと思う。おかずばっかり多くて、ご飯が少なすぎるのだ。

ご飯が多いのもあるにはある。でも、色ご飯が幅を効かせていて、本来の主役の白いご飯が隅に追いやられてしまっている。これは本末転倒だと、僕は思う。

おかずはもともと白いご飯を引き立たせるために存在する。おかずが美味だと、白いご飯がより一層輝く。

駅弁のご飯は、冷めても美味。食通になると、熱いご飯よりも冷や飯の方が米本来の味がして上等だというが、まあそこまで拘らなくとも、駅弁のご飯は冷めてもちゃんと美味い。これが魅力である。

ある日ある時の、ある法事での出来事。

僕の隣の下戸の爺さまが、配膳係のネエちゃんに

「オラさ、白い飯(ママ)(頂戴)と頼んだ。

「ちょっとお待ち下さい」と下がったが間もなく来て、「申し訳ありません。白いご飯はないのです。そのかわりに、そこに付いているのがご飯です」と言って指差したのが、蓋付きの茶碗。中は色ご飯。

 

会場は公民館のような所で、そこへ仕出し屋が運んで来ているので、いちいち個人的な好みに細かく対応できないらしいのだ。でも、普通の白いご飯ですよ。

「刺身に天麩羅。これさ色飯食えってが」と、隣のお爺さんは、僕にぐだめいだ(愚痴を言った)。

僕は飲ん兵衛だが、この下戸の爺さまの言い分がよーく分かる。そうだ。刺し身定食や天麩羅定食を頼んだ時に、色ご飯が付くはずがないではないか。

前述したように、刺し身だから天麩羅だからこその白いご飯なのだ。お膳がただ豪華でありさえすれば客は喜ぶと思っているらしい。わかっちゃあいないのだ。

駅弁好きのジェームス三木も何かに書いていた。

駅弁は、半分白いご飯をよしとすると。卵焼きとシャケは必要、あとは地元の自慢が1つ2つでいいと。

僕も全く同感。「津軽弁」も、津軽ロマンがドーンと構えているのだから、これでもかあと津軽色を詰め込み過ぎない方が、僕は好きだなあ。

僕の東京駅での定番は、深川飯と崎陽軒のシュウマイ。そして缶ビール。あれ?白いご飯は?と言われそうだが、何にでも例外はあるのだ。失礼。