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初めての空中勤務

  岡 村  廣 司

 
昭和十八年十月、陸軍少年飛行兵として青森県の八戸教育隊へ入隊したのは十五才の時だった。そこで一年間軍人として、又整備兵としての教育を受けた後、その内の四百名と共に浜松飛行学校内の教育隊へ転属となり六ヶ月間教育を受けた。卒業と同時に殆どの者は外地へ出発したが、私は数十名の戦友達と浜松教導師団研究班へ配属された。私の担当機は当時最優秀と言われていた四式重爆撃機「飛龍」で機付長の軍曹殿と同期生二名軍属一名の計五名でここで始めて整備兵としての実務に就く事になったわけで有る。
 数日後、私達の機に船団援護の任務が発せられ機付長が俺と一緒に搭乗しろと言う命令をされたので愈愈待ち望んだ日が来たなと期待で有頂天になっていた。直ちに飛行服に着替え操縦席の隣へ着席した時は夢心地、憧れの飛行機で大空へ飛び上がるんだと思うと心臓がどきどきで機上の操作を教えてくれる機付長の声も上の空、何をどうしたのかまるで覚えていなかったし、その時の搭乗員が何名だったのかも全然記憶に無かった。地上試運転が済み、離陸時の緊張感、機体が浮き上った時の何とも言えない重圧感、これだけは今でも不思議な程しっかり覚えている。離陸後左旋回するとやがて遠州灘上空で、間もなく輸送船団が見
えて来た、多分三隻だったと思うが間隔を大きく取って西へ向って航行している。その周囲には白波を蹴立てた駆逐艦が数隻併航していた。私は只呆然と眺めていたが、わが機の任務は上空より敵潜水艦に対する警戒であった。
 名古屋へ差し掛かった頃、私は気分が悪くなり出し飛行機酔いだと気付いた。元々船酔いする体質だが飛行機に乗りたい一心で受験票の船酔いなしに丸を付けたので酔ったとは言えず体をかがめて我慢したが機付長は気付いたと思った。無事任務が終了して飛行場へ着陸した時は冷汗びっしょり足元はふらふらで、同期生達が一斉に寄って来てどうだったと聞いているのに満足に答えられない状況で恥ずかしい限りであった。実は同期生でも空中勤務と地上勤務が有って私が最初の搭乗員になった為全員に注目されていたわけで後日、あの時の岡村の顔色はまっ青でろくにものも言えなかったんだと笑い草にされて了った。
 その後何度も搭乗したが何度も酔っていた。

 “軍歴は短かけれども貴重なる
           体験せしは生涯役立ち”廣 司



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(2005/06/07(Mon) 10:46:45)

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