静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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お 泊 り さ ん 2

柳沢 平四朗

 飛び込みのお泊りさんは強引な割込みをする。定員十八人の小さな宿屋であるので困ってしまうが断るのは、とても辛くつい無理をして泊めてしまうと祖母が苦笑いをしていた。
 小間物や。糸紐類や。刃物の研やなどは一日で他所へ出立つする。太物や帯芯を商う人は其の当時でも軽四輪で商品を積みこんで走り回る翔んでいる商人であった。
 暮れになると三河万才の予約のハガキが舞いこむ、神楽舞いや虚無僧は酒癖の悪い人が多く喧嘩好きなので、断るのに一苦労のようだった。
 松笠で羽を拡げる大鷹の置き物を作る名人芸、乗り物の模型を針金で編む職人芸のお泊りさんは、実入りが良くチップをはずんでくれるので祖母やおふくろには上客であった。
 春になると遠州三山のお開帳や鎮守様のお祭りで境内は繁華街になる。山里の植木屋さん達が満を持した此の日である。商いものが大きいのでリヤカーに乗ったままのお泊りさんになってしまい、大小の植木や苗木でわが家は突然幻の森林が出現したようであった。
 此の時季、常連のお泊りさんは、やはり縁日を狙う三人組のおばさん達である。こんぶ、わかめ、あらめ、青のり等の潮の香を篭に山盛り、軽々と天秤棒で担ぐオバタリアンで口も八丁手も八丁、賑やかな会話も商いの一つか毎日哄笑の渦であった。
 津波のようなお泊りさんが引いた頃、花のジプシーを名乗る蜂屋さんが来る。毎年元気な顔を見せてくれる父子である。やはり此の人達も大荷物でリヤカーに茶箱ぐらいの巣箱を十個積み込んで来る、一箱に働き蜂二万匹が待機しているという。

 しっかり積んであったはずの巣箱から蜂が飛び出してきて家中が大騒ぎになった事がある。先客から預かったミカンの苗木に原因があるらしい全くハプニングであった。
 初夏になると四国の香川県から薬屋のおじさんが来る。五ヶ月は滞在する上客のお泊りさんである。大きなトランクカバンを肩に草鞋履き広告傘をさし、薬の唄を歌いながら売るスタイルはまるで民話の主人公のようだった。
薬のメインは家伝の腹ぐすり「千金丹」で時節柄上々の売行き、懐は頗る温かく気前の良いおじさんである。何故か私は大へん可愛がられ行商のない雨天などは下校を待ち侘びて将棋の相手や、小説を読んで聞かせる事に付き合せられ駄賃の貰える楽しみがあった。
 長い間の家業へは不快なお泊りさんも度々ある。ある日風采も賎しくない中年の紳士が学芸員という名刺で宿泊を申し込んで来た。こんな小さな宿屋に何故か余計な胡散臭さを感じた。スーツケース大の黒塗りの箱に金色の金具がいかめしく打ってある。祖父が中身を聞いても終始そらとぼけ大事な実験用具が入れてあり、学校と官公庁へ出向の仕事だと言っていた。不安と怪しさを残し一日だけのお泊りで出立つした。後日聞いた話だが巧妙に出来たインチキ品をエジプトのミイラだと云う触れ込みの商売道具であった。間もなく周智郡周辺の学校で露見し逮捕されたという。
 さまざまなお泊りさんの足跡が残る家業の一端である。本年は祖父母の没後五十年、こんな煩わしい仕事を長い年月続けてくれた感謝へ、追憶も歳月にだんだん流されて行く、振り向けば十七代目くらいであろうか、弟が祖父の地を守り暮らしている。

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(2006/04/09(Sat) 00:43:39)

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