静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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特別寄稿
 
 川柳人よ自分を見詰め直して欲しい  川路 泰山 



現実に何百万人とも言われる膨大な川柳人口の中で、川柳とは何かを問い直す時期に来ている。川柳のプロ作家と呼称される者にしても、川柳本来の在り方を説いている論説はほとんど見当らない。
「川柳は人間の詩である」と説いた六巨頭時代から見ると、個性のない言葉の寄せ集めだけの言葉遊びに浸っているだけとしか思えないものが大半の様に見受けられる。サラリーマン川柳やマスコミの流れに押し流されているかにも見える。
それに加えて川柳結社自体も昔の様な指導力はなく、只、人集めに奔走しているだけの会が殆どだと云っても過言ではない。川柳誌にしても、毎月の句会報で秀句・五客・三才と格付けだけで選評すらないものが多く、何の為に結社に入会しているのか疑問になる。川柳は斯くあるべきかを説いた文章など殆ど見当らない。その上選者にもよるが格付けの中に、これがと思える句が多いのには驚かされる。明治、大正を経て来た好作家や好指導者が次々と他界されたのにもあるが、半世紀前から見ると川柳も泥沼化した感もある。
川柳が人間の詩であるなれば、そこに己が居なくてはならない。十人十色でよい。その一色に自分を置かないと(それが個性だ)。自分の泥臭さをどれだけ表現出来得るかが川柳の命ではないのか。認められても認められなくても良いのではないか。これが自分だと言い切れる句が一番美しい。その中からやがて来世に残せる句が出来たら至上の喜びであろう。これが川柳に対する私の考えだ。
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(2006/11/25(Fri) 22:31:57)

愛犬「メリ」の回想(一) 静岡市     柳沢 平四朗 

 NHKの土曜ドラマ「犬のディロン」を見ていたら、子供の頃飼った愛犬「メリ」の事が無性に思い出され、また懐古のペンを執ってしまった。
 小学三年の夏、突然の病気で障害児になった私に、親友の村木君から「仔犬が生まれたから一ヶ月位経ったらあげるよ」と嬉しい話があった。友達の真情がただ嬉しく後先の考えもなく下校の途中仔犬を見に寄った。まるで縫いぐるみのような固まりが五つ、親の乳房の争奪戦であった。中でも一番精悍な雄を約束して帰った。
 何となくウキウキして来る気持ちも、特に犬嫌いの父さんを思うと、此れからが苛まれて沈んでしまう。而し、いざの時には母さんが説得してくれる事も信じているし、餌も大きくなれば宿泊客の残りで充分である。
 ミカン箱に新聞紙を入れ物置の隅へ、仮住いを決めながら早々と見付からないように祈った。でも馴れないうちは鳴くかも知れぬと心配は尽きない。
 その明日下校して見ると箱の中に母さんが古毛布を敷いてくれて有った。私は嬉しくて泣いてしまった。弟達も待ち惚けの毎日である。
 「メリ」を飼って三ヶ月位経った頃、父さんの失職で本家から引っ越すことになった。幸に借家は百米位の先であったので「メリ」の為にも助かった。狭い借家であったので庭先で飼うより仕方がない。近所の大型犬に新参者の「メリ」は外に出れば虐められ、悔しい思いの毎日であった。他人にはつまらない犬でも私には大切なパートナーである。EQ \* jc2 \* "Font:MS 明朝" \* hps9 \o\ad(\s\up 8(けしか),嗾)けても他所の犬は怖い私が情けない。
 そんな或る日、父さんのバクダン宣言を聞いた。「先日用事で来た宝野の豪農の人が「メリ」を欲しがっていたので呉れることにした」と易易と言い放つ父さんが憎らしくて仕方がない。母さんも弟達もすっかり家族になった「メリ」を今更手放す事は嫌だと泣いている。
 それからの私は全く落ち着きを失い、学校にいても帰ったら姿のない想像へ勉強も手につかなかった。仕方なく明日から学校へ「メリ」を連れて行く決心をした。
 校庭のポプラに繋いで置くことにした。先ず、一日は何事もなく見知らぬ所で繋がれていても、おとなしかった事が不思議にさえ思ったのに、其の翌日とんでも無いことが起きてしまった。
 何かに怯えた「メリ」が、急に暴れ出し私の教室に入って来たから大変、忽ちパニックになった。先生から大目玉を食らい泣きたい心境である。
 こんな事になった以上、学校は厳禁で途方にくれてしまった。母さんが涙ながらに父さんを説得してくれ、ひと先ずこの心配から解放された。


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(2006/11/25(Fri) 22:21:57)

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