静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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これが川柳・これも川柳      加 藤  鰹

先日、本年度のサラリーマン川柳ベスト100が発表になった。この中から一般投票を三月十四日まで受付け、五月中にベスト10を決める仕組みである。
今回の応募総数は二万二千句余り、ピーク時の六万句強から比べれば三分の一と、かなりブームが下火になった感があるが、それでも伝統川柳界にこれだけの応募数を集める誌上大会は現在皆無であるのだから注目すべき公募である事に間違いはない。
厳選の予選を勝ち抜いた100句を見てみると半分以上の句が新鮮味に欠けていたり、単なる駄洒落に終わっていて読む価値が無いものだが、中には「おっ」と思えるような句もあった。
・へそくりを内部告発する息子
・安い値のガソリン探し遠出する
・貼り替えは昔障子で今日付け
・新鮮と買って十日も冷蔵庫
・千の風聞いてる妻はハリケーン
などなど。時事的な内容や流行り言葉を巧みに詠んでいて「ウマイな〜」と素直に思う。

二月七日、山梨市で開催された玉島よ志子氏の川柳講座を受ける機会があり、氏はサラ川についてこんな見解を喋っていた。
「これが川柳と思われるのは不本意だけど、これも川柳の一傾向です」。なるほど。納得。
『あんなものは川柳じゃない』と目の仇にして
いる川柳人が多い中で、懐の広い意見であった。

 とかく川柳人は自分のやっている川柳の傾向以外を十把一絡げに否定する。しかし川柳に「伝統」「詩性」「時事」「サラ川」等等、様々な傾向があり、それぞれ愛好家がいるのだから、同じ川柳の仲間同士で否定し合うのはつまらない事だと思う。要は自分自身を高め、どんな傾向からも認められる「いい句」を作ればいいのである。

 サラ川については「ふざけたペンネーム」が伝統川柳人に嫌われる一要因でもあったりする。「ぐうたらママ」だの「弱気な亭主」だのといった具合に“句を補足説明してしまっているネーム”も少なくない。しかし、これは主催者側に問題がある。先日投句を締め切った「オリックスマネー川柳」の投稿フォームには“ペンネームは句に準じて付けるのが一般的です”と明記してあるではないか。これでは一般参加者がそういったネームを付けて当たり前である。
 サラリーマン川柳は日本の川柳界の大御所、尾藤三柳氏、オリックスマネー川柳はその息子さんの一泉氏が選句を担当している、この辺はぜひとも今後、主催者側にアドバイスして頂きたいものである。

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(2008/03/26(Tue) 09:25:03)

「 二匹と二人 」 望月  弘

 世の中高齢化が進んでいる。
 二匹と二人の我が家も典型的な老々家族だ。二人はさて置き、犬の「ホクト」は十二年と七ヶ月、猫の「コロン」は十一年と四ヶ月だ。人間の年齢だと八十歳を過ぎた頃だろう。
 私が物心ついた頃から、犬と猫はいつも家族の中にいて一緒に暮らしてきた。
 以前飼っていた犬は、息子が小さい頃から飼い始めて十九年程生きた。最期の一〜二年は足腰も弱り、歩くのもよろよろの状態だった。猫もある頃から姿を消し、犬も死んでからもう動物を飼うのはやめようと思った。
そんな時、妹の家で仔犬が産まれ、同じ年に子供(孫)も生まれることになった。妹から、迷信だと思うが同い年だとどちらかが負けると言い伝えがあるので、飼ってほしいと頼まれて飼うことになった。
 柴犬の雑種だったが、近所の人達や子供達にもかわいがられて、やさしい性格に育った。遠くで子供らの声がすると耳をそば立てている。知らない人でも尻尾を振るほどの人好きで、番犬にはなっていない。今は時たま溜息をついたりして寝てばかりいる。
 犬が一才を過ぎた頃、勤務先の駐車場脇に捨てられていた猫を娘が拾ってきた。数匹の中からいちばん弱そうで可哀相なのを拾って来たという。目脂で目が塞がっている状態で、やせこけていて育つのは無理だと思った。

0712-hiroshi.jpg しかし、スポイトで牛乳を飲ませたり、温かくして面倒を見たおかげで、ようやく歩けるようになった。よくよろけてばかりいるので「コロン」と名付けた。ようやく大きくなり外出するようになったので、半年位の時に不妊手術を施した。それからは余り遠出はしなくなった。
 性格は犬と正反対で人間嫌いに育った。捨てられたことを本能的に察知しているのかと思えるほどだ。遠くで子供らの声がしただけでもその場から逃げてしまう。家族と一緒にいても、来客があるとさっと逃げてしまう。
 でも淋しがりやでもある。家にいる時は私のそばでいつも眠っている。そっと席を外してもすぐついて来る。
 今は、足の衰えを遅らせるべく、犬と朝夕の散歩を続けているが、どちらが先に音を上げるのだろうかと思っている。当分は二匹と二人で癒し合い、助け合って生きている。

飼い主に似た溜息を犬がする    弘  

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(2008/03/08(Sat) 09:53:46)

「父さん」のバカ(一) 柳沢 平四朗

 先日、医療センターの山口総長が新聞のコラム欄で、医学から見た回想の効用に就いて深く考察されていた。『人はそれぞれ心というタイムマシンを宿らせ、忘れ難き追憶は孤独や虚しさを癒す良薬であり、思い出などに耽ると後向きの印象を与えるが、今を生きる大切な糧である』と結んでいた。読んでいるうちに大昔の事へペンが弾み出した。
 母さんから聞いた父さんの若き実像である。底抜けのお人好しへ歯痒い連合いで有ったと言う。
 農家の次男に生れた父は小学校を終えると町の酒問屋の親類、伊豆の醸造元へ杜氏になる修行で家を出た。一応の職人になるには十年掛るそうである。小僧としての日課は目に見えぬ雑用に酷使された、同年代の三人の中へ陰日向のない父さんは職人衆に可愛がられた。
 五年近く経った頃、世話人だった酒問屋の息子の急病に呼び戻される羽目に父さんは相当悩んだそうだが、杜氏になる夢を捨てることになった。
 今までの職人見習いとは違い経営者になる卵である。注文先へリヤカーで配達の毎日、くたくたに疲れた小柄の身を鞭うって町のソロバン塾である商道館へ通った。
 先輩番頭からの扱きは厳しく虐めに近いものだった「商人とは最小のコストで最高の利益を上げよ」との真骨頂へ「損して得取れ」の父さんとは反りが合わず、心労も重なり体調もSOSを告げた。それでも何時かは独立する日を夢見て六ヶ年が矢の如く過ぎた。
 此の頃、一人娘の母さんと縁談がまとまり父さんは独立を決意、開店の資金繰りへ奔走していた。借金の見通しがどうにか着きそうな弾みも、好条件の店舗借りの話が壊れてしまった。当時酒の小売り業者の間隔は五百米以上でないと許可されぬ最初の躓きである。次に探し当てた場所は営業許可ギリギリで将来不安も有ったので、醤油、味噌の販売品を増やし開店の準備に大童である。
 結婚と開店の喜びに父さんは少々舞上っていたと思う。開店は秋祭りの吉日を選び氏神様に陶器の一斗詰めを奉納し、折込みチラシも大量にチンドン屋まで雇い宣伝を委託した。余りの派手ばでしさに新婚早々でもけんかが絶えなかったという。暫く営業しているうちに税務署から酒類の販売は居酒屋のみ、外商は罷りならぬのお達しである。
ある日、父さんより三つ四つ年上の男が居酒屋の客で来た。話がとても上手な人で忽ち意気投合、次の来店を心待ちする父さんにさせ三度目当りから身の上話をする座敷の客になる。小声で話込む男二人を母さんは訝った。
 聞けば其の人は千葉県の銚子生れで、名立たる醤油問屋の長男とのこと、道楽が過ぎて弟に家督を奪われ今は放浪の身の職探しだと言う。父さんに熱弁で勧めているのは客が一升買うと、もう一升おまけを付けるいわゆる倍枡醤油だと言う。仕入れは其の筋で詳しいから旗上げを決断せよと迫るが、母さんは見ず知らずの人の調子のいい話は眉唾物だと信じない・・・つづく                           

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(2008/03/08(Sat) 09:34:35)

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