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川柳は大衆文芸なり   島田市    川路 泰山

川柳は大衆文芸であり、人間の詩である。たかね三月号、鰹主幹の言は当然で私も同じ考えを持っている。
もっともサラリーマン川柳や商業川柳は大半が時事吟であり、その分野だけでの優劣の付け方であって、詩性派、現代派、革新、前衛、伝統派にしても然り、『一握りの中での争い』で、これ等全てを集めたのが川柳である。だからその分野だけでの選句ならそれでよい、巷の句会なども地域性があって良いと思う。但し、これが県大会、地方大会、全国大会となると別で選者の優劣を問われるのは当然であり、川柳各分野を掌握した者が選ばれるべきだが、それだけの選者が少ないのが現状だ。
日川協が平成四年に法人立ち上げ当時、選者の教育を叫ばれたが、誰がどう教育するかも問題であるのと、選者が居たとしても北海道から沖縄までの広範囲を選者の移動費・宿泊費をどの様にするか、日川協自体に資金力がなく、当時は選者謝礼も一万円が限度の状態で、昔は名誉職で選者の方が祝儀を包む江戸時代の名残りそのまま、理事会で廃止を訴えて選者謝礼もやっと二万円にまで引き上げたが大半の費用は選者負担だ。これでは無理に遠い所の選者を依頼出来ない。
それと、受け持つ地域で地元の選者をとの要望もあり、あれやこれやで自然に選者の質も低下したのが現状である。
現在、日川協加盟の県川柳協会や吟社を見ても会員の減少と若い人たちが少なくなったのが現実である。それに若い人たちは古臭の漂う吟社や協会に入会しなくても、フリーでサラ川、新聞、マスコミ、川マガ等で自由に川柳を楽しめる様になり、川柳の流れも時代と共に変わりつつある。
大会の選者や指導的立場の方々も、肩書き欲しさだけでは困る。その立場に応じた勉強をオールマイティーに努力する必要がある。
 私自身、勉強不足を痛切に感じながら改めて一からの出直しを決意しながら認めている。
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(2008/05/26(Sun) 09:25:03)

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