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「ふるさと人物風土記」   柳沢 平四朗 


「冬枯れの中に家居や村一つ」遠州は生家袋井駅の一隅には俳聖、正岡子規の句碑がある。昭和三十二年地元のクラブの人達によって建立されたと言う。一世紀前この年に開通した東海道線で郷里松山への帰途、袋井を通りかかった際の即興句で名句の一つであると聞く。吹きすさぶ空っ風の鳴る、乾いた田舎の風情を車窓に画いたのであろう。
此の生家を後にして五十年余り、時折尋ねる町並に隔世の威を強くする。現在では周囲の町村を合併して人口も膨らみ、区画整理も進んで理工科大学やエコパの存在が中核都市への変貌を誇っている。
 俳聖の詠んだ此の薄ら寒い故里でも、スポーツ界へ官政界への出色の有名人が多いから驚きである。而も生家の界隈だから尚更である。
 今、サッカー王国と呼ばれる郷土もかつては野球王国と言われた時代が有った。
先日静岡新聞社発行の「しずおかプロ野球人物誌」を見た。昭和十一年にプロが日本へ発足した。五球団の一リーグで七十年も昔の事である。
こんな小さな空っ風の町から日本のプロ野球選手が活躍していたなんて自慢せずにはいられない。セネタースの掛井さん、ロビンズの天野さんである。また慶応大学の強打者外野手で鳴らした根津さんも、あの学徒出陣で巨人軍のユニフォームを幻にしてしまった。
 此の人達より十年も若い池田和(やわら)さんは、袋井商校で投打にも勝る選手で、大学への将来を期待されていたのに、いきなりプロ球団のテスト生で転々、球界のジプシーと渾名された。大成しなかった池田選手に周囲の人達は力を落した。
 生家の両隣には旧制中学時代に名を馳せた二人の選手がいた。掛中(現掛西)の名ショート村松国夫さんは卒業後、都市対抗の藤倉電線で活躍、水泳のオリンピック候補で期待された笹原文太郎さんは其の後満鉄へ就職したが残念ながら戦死した。
 島田商業の黄金期、名捕手で人気者の松下嘉一さん、弟の茂さんは投手で兄弟バッテリーを組んでいたが甲子園の二回戦で惜敗した。
 その翌年、和歌山の海草中学との決勝戦は今なお忘れられぬ興奮の町になった。皆、隣近所の顔見知りだから鼻高々である。
 官界政界でも傑出した人物像で輝いていた。文献に依ると戦前、母校の西小の隣に陸軍中将柴山重市閣下、官内大臣枢密院議長一木喜徳郎氏、弟さんである岡田良平氏は文部大臣、警視総監の小栗隆平氏の方々は皆々袋井市出身であるから驚きである。満鉄から政界への転出した足立篤郎氏は農水大臣を務め、現在活躍中の代議士柳沢伯夫、イギリスはロンドンの在外公館公使を五年間勤めた柳沢逸司は私の身内である。
 静岡人は進取の気象に乏しいと言われるがそんな事はない。サッカーでもエコパを擁うして将来日本代表になり得る卵が二つ三つ育っていると聞く。
 俳聖が行脚した空っ風の鳴る故里の面影はない。近代的小都市としての躍進に大いなる喝采を惜しまない。
昔日を疎遠の里が温かい 平四朗
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(2008/06/26(Wed) 09:25:03)

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