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「 裕 ち ゃ ん ・ 命 ! 」 静岡市   佐野 由利子


 平成十一年「石原裕次郎十三回忌法要」が行なわれた朝、私はひとり一番の新幹線に乗り、鶴見の総持寺に向かった。
 鶴見の駅前はものすごい混雑振りで、列の最後尾に並ぶのに寺とは反対の方向へ歩く事、小一時間。そこからノロノロ牛歩戦術並みの進み方で、何と朝八時から夕方五時過ぎまでずっと列の中にいた。それでもまだ総持寺には着かなかった。
 全国から二十万人もの人が詰め掛けたのだから無理ない事と諦め、その夜は宿泊し、翌日墓参りをして気を静めた。
 七回忌の時はもっとスムーズにお参りが出来たのに、俄かファンが“裕次郎ワイン”欲しさに詰め掛けたのだ。自転車の篭にワインを乗せ、帰る姿を恨めしく見送ったものである。
 昭和三十六年、スキーで骨折した裕ちゃんが山梨の下部温泉へ療養に来た。地元の高校生だった私は、千羽鶴を持ってお見舞いに行った。幸いにも娯楽室で卓球をしている所へ通して戴いた。会った瞬間、目の前がクラクラッとして、失神してしまいそうだった。身長一八二pのスラッとした長い足、世の中にこんなにも素敵なカッコいい男性がいるのかと唯々感激した。

「裕ちゃん、千羽鶴を折ってきました・・・」
「どうも有難う!」

あのスクリーンと同じ声で答えてくれた。あの時交わした言葉の数々は今でもはっきりと脳裡に焼き付いている。それから益々裕ちゃん熱は上昇し、四十数年たった今でも「裕ちゃん・命!」である。
 仕事の関係で裕ちゃんが所属していたテイチクの人とも親しく話が出来、グッズなども戴いた。小樽記念館には三回足を運び、CD40枚組セット・DVD・ウインドブレーカー・時計等沢山持っている(自慢)また裕ちゃんファンとは今でもHPなどで情報を交換している。
 裕ちゃんは、知性と庶民性を併せ持ち、いつもキラキラ輝いていた。わずか五十二歳という若さで短い生涯を下ろしてしまったが、あの甘く切ない低音の歌声と、カッコ良い姿は何時までも忘れない。
 それにしても、理想と現実の違いは虚しい!

 「裕ちゃんは理想 夫はトラさん似」 由利子
[16] (2006/08/09(Tue) 00:43:39)



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