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「一杯のかけうどん」―九州編―

高瀬 霜石


 六月に、五木寛之がやって来た。弘前市民会館は満員であった。彼は三月にも青森銀行の講演会で青森に来ていて、その時も会場は女性でいっぱいだった。
 近年とみに抹香くさくなり、似たような本ばかり出しているので買うのは止めたが、僕は実に長い間、彼の愛読者であった。
 今から三十三年ほど前、学生生活最後の夏の思い出に、九州鈍行ひとり旅を思い立った。
 目的は二つ。鹿児島へ行くことと、博多でうどんを食うこと。まずはとにかく、伯母の住む鹿児島に直行する。そうすれば小遣いも貰えるだろうし、その後は懐と相談をしつつ、じわじわ北上すればいい。金が残り少なくなるにしたがって、東京にも近くなるからど
うにかなるだろうという安易な計画であった。
 五木寛之のベストセラー『風に吹かれて』に続いて出た第二随筆集『ゴキブリの歌』(昭和四十六年刊)の中に、こんな一節があった。

 うどんは関西、という定説があるが、私はうどんは福岡、だと思う。(中略)
 先年、大阪で高級なうどんをごちそうになった。確かに旨かった。だが、値段相応の旨さだと思った。
 私が言うのは、一杯少なくとも五十円以下のうどんである。場所も店の名前もはっきり書かない。書くと観光客でごったがえして、うどんの味が落ちるからだ。大博劇場のそばで、大きな提灯が目じるし、とだけ書いておく。(中略)


鹿児島に一週間ほどやっかいになり懐も温まった僕は、第二の目的地である福岡へ向かった。福岡の駅がすなわち博多駅ということも、この時はじめて知った。
 着いたのは夕暮れだったが、目指すうどん屋は割合簡単に見つかった。一応その近辺をぐるり回ってみたが、ほかにうどん屋はない。そこに間違いはなかった。
 中は薄暗く、客は誰もいない。店の人もいない。僕は奥に向かって「かけうどん一つ下さい」と叫んだ。
 しばらくして、五木寛之大絶賛の天下一うどんが目の前に現われた。大きく深呼吸してから、思いっきりずずーっとすすり、愕然とした。それは、あまりにも腰がなく、かつ、あまりにもぬるい汁であった。
 憧れのうどんが、一瞬にして黄昏のうどんと化したその夜。博多の屋台は、僕を優しく迎えてくれた。

(来月号「一杯のかけうどんー瀬戸内編―」に続く)


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(2005/10/08(Fri) 19:01:31)

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