「怪傑黒頭巾の命日」 高瀬 霜石
最近マスコミで、良きにつけ悪しきにつけ話題に上る「団塊の世代」僕たちが子供の頃は、テレビはまだなくてもっぱら映画で育った。映画はやっぱり東映で東映とくれば、チャンバラ。戦前からの大スターだった片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大を筆頭に、中村錦之助(後の萬屋錦之介)大川橋蔵などが週がわりに登場し、スクリーンの中で華麗に剣を振るった。 テレビで水戸黄門を演じ、すっかり時代劇の大御所になってしまった里見浩太朗や、エリート松方弘樹などは、子役に毛が生えた程度のものだったのである。 その東映の数多いスターの中で、僕は断然、断然、大友柳太朗のファンであった。当時の彼の人気の高さは、他のスターを差しおいて、東映で(日本で)初めての総天然色シネマスコープ作品「鳳城の花嫁」に主演したことで立派に証明できるだろう。 彼は七十三歳の時、飛び降り自殺した。ノイローゼだったという。舌が長いのか短いのかよく判らないが確かにやっとセリフを言っているようではあった。でもでも、ファンの方からすると、そこがかえって彼の朴訥な人柄をかもし出していたと思うのだが、彼自身は、それを非常に気にし、悩んでいたという。 大友柳太朗が渋い脇役で、テレビや映画にまだ出ていた頃。彼の息子が都内のあるバーでピアノを弾いていると、東京の知人が教えてくれた。僕は大友柳太朗のことをとても褒めている『殺陣』という愛読書を知人に託した。一年くらいたったある日、その本が帰ってきた。本の扉に彼らしい大きなサインがしてあった。 その後、彼の住所を知りファンレターを書いた。そうしたら間もなく、裏一面にでっかく大友柳太朗とサインした葉書が届いた。比べたら、本にあったものと寸分違わなかった。彼の律儀さが葉書から溢れていた。 数年前、写真をふんだんに使ったぶ厚い本『大友柳太朗快伝』(大友柳太朗友の会編・三千八百円)が出て、こんな高い本いったい誰が買うんだろうと思いつつ、つい買った。買ってわかった。彼は歌人であった。
スクリーンに動く貧しき吾が姿
じっと目をとぢ息をこらすも ―試写の夜に―
彼の命日は昭和六十年九月二十七日。なんでこんなことを覚えているかというと、その年は僕の父が他界した年で、その日は僕の誕生日だからだ。そんなものである。
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