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霜石コンフィデンシャル59     高瀬 霜石

「 ぼ っ た く り バ ア 」
 去年の十二月のこと。青森市で、落語家・柳屋喬太郎の独演会があった。一番最後の話が「時そば」だった。有名なこの話は、どちらかといえば前座話。独演会の最後の話にこれかと、少しガッカリして表へ出た。
 外は大雪。電車の時間まで一時間くらいあるので、駅の側の繁盛している焼鳥屋へ行ったら生憎休み(涙)。
 やむなく狭い路地を入って行ったら、ポツンと赤ちょうちん。人の気配を感じたのか。戸がスッと開き、年配のオガサマが顔を出して、僕をこう誘った。
「アンサマやー。アツーそばコあるよ」ときた。この世寒。しかも、今し方「時そば」を聞いてきたばっかしの身にはよく滲みる言葉だ。迷うことなく店に入って「熱燗いっぽん」と頼んだ。カウンターに、四、五人座れば一杯の小さな店に、客は僕一人だ。そのオガサマは、煮立っているヤカンの中に、大ぶりな徳利を静かに沈めた。「おー、いいねえ。チンじゃなくて、ちゃんと燗するんだ」なんて褒めても、彼女は何も答えずに黙々と仕事をしている。お通しのナマコを僕にひょいと手渡した後、人差し指をいきなり徳利にズッポリ差し込んだのだから、オヨヨである。
「かあさん。もういい。そのままでOK.熱くなくていい。温燗で充分」と、僕はアセッタ声で叫んでいた。
 彼女はそれからも下を向いたまま黙々と仕事を続けているので「かあさん。電車の時間まで余裕ネんだはで、あと何もいらねはでの。最後に、アツーそばコあればいいんではでのお」と再び声をかけたが、しらんぷり。そのうち「ホタテの貝焼き」のようなものが出てきたので、僕も呆れて「さあ、そば食って帰るじゃ。そばコけへ」と言った。
 その十分後、僕の目の前に差し出された丼の中身は、なんとラーメンだった、そうか、中華そばともいうものなあと、妙に納得して、一口啜ってまた驚いた。確かに色は黄色い。でも、ラーメンというよりは、のびきったウドンみたいなシロモノだ。おまけに、中からビニールの切れっ端が出てきたからもういけない。
 勘定は三千九百円。徳利が大きいから、酒は千円くらいでも仕方ないが、つまみの一品千円くらいか。
 世に「ぼったくりバー」というものがあるとは聞いていたが、僕が遭遇したのは、それとはちょっと異なる「ぼったくりバア(婆)」というものであった。


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(2008/01/26(Fri) 08:38:05)

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