霜石コンフィデンシャル66 高瀬 霜石
「 ま た 邂 う 日 ま で 」
前号に、弟の骨を拾いに上京したことを書いた。 「人生には、上り坂と、下り坂のほかに、もうひとつ坂がある。それは《マサカ》という坂だ」 どこぞの保険会社の宣伝文句である。 僕にしてみればマサカだったが、世間一般にはきょうだいの逝く順番なんてマサカの部類には入らない。マサカは、やっぱり親子のことだろう。 《俺に似よ俺に似るなと子を思ひ》 ひとさまの前で川柳の話をする時に、まず一番最初に紹介するのがこの句だ。作者は、大正から昭和にかけて活躍をした大阪の川柳人・麻生路郎(あそうじろう)という人。 自分の長所だけ似てくれ、頼むから悪いところは似ないでくれと願う親心。子供がいる人はもちろんのこと、いない人だって気持ちがよーく分かるはずだ。 路郎は、四男五女をもうけた子福者だった。その子供たちの名前が、ロンドン、アート、一歩、奈菜、リリなど、かなりエパダ(津軽弁で風変わり)だ。 長男の名前(ロンドン)は、英国の首都からとったの ではなく。狼の研究などで有名なアメリカの作家、ジャック・ロンドンに因んだ名前なのだそうだ。 今ならまだしも、当時のことである。戸籍係が受け付けてくれなくて、揉めた。しかし、路郎はジョッパリ。粘りに粘り、ついに押し通した。 そのロンドンが、なんと小学生で亡くなる。 以下、ロンドンの一周忌の時に詠んだ句。 《お父さんはネ覚束なくも生きている》 《お前がいたらと思い出すと煙草ばかり吸う》 《お父さんはやはり川柳々々と言っているよ》 愛する子を失った悲しみ。空虚な日々。路郎親子はたまたま学校の隣に住んでいたというから、皮肉だ。 《子を死なし学校に子の多いこと》 こんなにも沢山子供がいて、そこらじゅうを駆け回っている。なのに、もうあの子はこの世にいない・・・。 《妻よ子よばらばらになれば浄土なり》 この世に生を得て、たまたま夫婦として親子として暮らした。しかし、それはこの世にあってこその縁。 亡くなれば、親も子もばらばらになって、浄土で生まれ変わるのだ。家族は来世も―たとえ順番が狂ったとしても―花や草や樹や鳥や虫になって、どこかできっと再会すると、路郎は思ったのだろう。
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