静岡川柳たかねバックナンバー
トップページへ






霜石コンフィデンシャル68   高瀬 霜石

「キーホルダー」

僕の会社は、今年で創業六十年になる。一般に会社の平均寿命は、約三十年といわれている。今日までの長い不況のトンネルと、もの凄いスピードでの環境変化の激しさを加味すると、実際はもっと短くなっていると思うが、とにかく六十年はたいしたものなのだ。
僕は二代目。戦後間もなく、満州から引き上げてきた父と母が、その頃はまだ珍しかった自動車の部品を商った。当時は、自家用車は余程の金持ちじゃないと無理で、街を走っていたのは、バス、ハイヤー、タクシー、公用車、稀に大きい商店の宣伝用の車くらいだったという。
父が三十年、僕が三十年、会社は細胞分裂もせず、ずーっと一店舗。「小さくても元気」「少数精鋭」の心意気でやってきた。
僕が社長になってからは、給料は勿論、ボーナスも前年より下げたことがないのが自慢といえば自慢だろうか。但し、据え置きはありますよ。定着率がいいので、お客様からの信頼度も高く、今のところ歯車は順調だ。
数年前のある日のこと。十年選手の一人が突然辞めたいと言ってきた。去る者は追わず主義の僕だが、気立てのいい若者なので話をじっくり聞いた。
仕事に不満はないが、転身したいと言う。そういうことなら、気持ちよく送り出すしかなかった。それから約一年後、彼は自殺した。
「おたくを辞めてからは、どこへ勤めても長続きしなかった」と言う僕と同い年くらいのご両親の言葉に、僕は引き止めなかったことを後悔した。
 彼は、鍵がいっぱいのキーホルダーを、いつもこれみよがしにベルトにぶら下げていたのを、ふと思い出した。
 「バカヤロー。あんなに沢山あった鍵の束の中に、ひとつくらいお前の未来の扉を開ける鍵がなかったのかよ」と遺影に向かい、胃の腑で叫んでいた。

 キーホルダーじゃらじゃら軽いいのちかな 霜 石

 それから一年が過ぎた。ある新しい温泉ホテルの開館前のセレモニーに招待された。風呂、部屋、料理、接客サービスなどの意見を聞かせてくれというのだ。モニターだから、当然無料。大手を振って出かけた。
 大広間での懇親会で、偶然彼のお母さんと遭った。すぐに彼女は僕にお酒を注ぎに来た。友達が気晴らしにと誘ってくれたので、重い腰を上げたのだと言う。
 彼の思い出をぽつりぽつり語り合っているうちに、彼女は泣き出した。楽しいはずの宴会場で、中年男が中年女を泣かせているのはいい図ではない。こういう時は、つい優しい言葉をかけてしまうが、これが実はいけない。シクシクが、オイオイになってしまうからだ。子に先立たれた親の気持ちは誰にも判るはずがない。あれ以来、温泉に浸かると、彼女の大きな涙粒を思い出す。

 母さんの涙に勝てるわけがない      霜 石

霜石コンフィデンシャル | Link |
(2008/10/07(Mon) 13:38:23)

200811のログ 200809のログ

Copyright © 静岡川柳たかねバックナンバー. All Rights Reserved.