静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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「父さん」のバカ(一)  柳沢 平四朗

先日、医療センターの山口総長が新聞のコラム欄で、医学から見た回想の効用に就いて深く考察されていた。『人はそれぞれ心というタイムマシンを宿らせ、忘れ難き追憶は孤独や虚しさを癒す良薬であり、思い出などに耽ると後向きの印象を与えるが、今を生きる大切な糧である』と結んでいた。読んでいるうちに大昔の事へペンが弾み出した。
母さんから聞いた父さんの若き実像である。底抜けのお人好しへ歯痒い連合いで有ったと言う。
農家の次男に生れた父は小学校を終えると町の酒問屋の親類、伊豆の醸造元へ杜氏になる修行で家を出た。一応の職人になるには十年掛るそうである。小僧としての日課は目に見えぬ雑用に酷使された、同年代の三人の中へ陰日向のない父さんは職人衆に可愛がられた。
五年近く経った頃、世話人だった酒問屋の息子の急病に呼び戻される羽目に父さんは相当悩んだそうだが、杜氏になる夢を捨てることになった。
今までの職人見習いとは違い経営者になる卵である。注文先へリヤカーで配達の毎日、くたくたに疲れた小柄の身を鞭うって町のソロバン塾である商道館へ通った。
先輩番頭からの扱きは厳しく虐めに近いものだった「商人とは最小のコストで最高の利益を上げよ」との真骨頂へ「損して得取れ」の父さんとは反りが合わず、心労も重なり体調もSOSを告げた。それでも何時かは独立する日を夢見て六ヶ年が矢の如く過ぎた。
此の頃、一人娘の母さんと縁談がまとまり父さんは独立を決意、開店の資金繰りへ奔走していた。借金の見通しがどうにか着きそうな弾みも、好条件の店舗借りの話が壊れてしまった。当時酒の小売り業者の間隔は五百米以上でないと許可されぬ最初の躓きである。次に探し当てた場所は営業許可ギリギリで将来不安も有ったので、醤油、味噌の販売品を増やし開店の準備に大童である。
結婚と開店の喜びに父さんは少々舞上っていたと思う。開店は秋祭りの吉日を選び氏神様に陶器の一斗詰めを奉納し、折込みチラシも大量にチンドン屋まで雇い宣伝を委託した。余りの派手ばでしさに新婚早々でもけんかが絶えなかったという。暫く営業しているうちに税務署から酒類の販売は居酒屋のみ、外商は罷りならぬのお達しである。
ある日、父さんより三つ四つ年上の男が居酒屋の客で来た。話がとても上手な人で忽ち意気投合、次の来店を心待ちする父さんにさせ三度目当りから身の上話をする座敷の客になる。小声で話込む男二人を母さんは訝った。
聞けば其の人は千葉県の銚子生れで、名立たる醤油問屋の長男とのこと、道楽が過ぎて弟に家督を奪われ今は放浪の身の職探しだと言う。父さんに熱弁で勧めているのは客が一升買うと、もう一升おまけを付けるいわゆる倍枡醤油だと言う。仕入れは其の筋で詳しいから旗上げを決断せよと迫るが、母さんは見ず知らずの人の調子のいい話は眉唾物だと信じない・・・つづく 
[34] (2007/11/26(Sun) 09:25:03)



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