静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
トップページへ






静岡国文祭参加と富士山を見る旅 松山市 中矢 長仁

「貴方一人の旅は危ないから私も付き添いで行きますよ」という事で「フルムーングリーンパス5日間」の旅を計画しました。

◎そわそわと旅の準備は整った
 静岡の天気は四国松山とあまり変わりないけど寒くなる予報。
 第一日目国民文化祭前日、静岡を過ぎ三島に近づいた頃、車窓に富士山が覗き込んでいるのを見てびっくり!感動の一瞬でした。
 こりゃあ幸先が良いぞう。
 三島南口には国文祭歓迎のテントが張られて居りムードを盛り上げていました。

◎三島の姉御国文祭をもりあげる
 大会当日会場で受付をしていたアイドルほほみちゃんにまず挨拶。当日投句の受付けをしていた加藤鰹さんからは、たかね会のメンバーや川柳マガジンで活躍中の先生方まで紹介をいただき、感動でした。

◎初対面なのになんだか懐かしい
 大会では選者の先生方から講評がありましたが、先生方にもそれぞれ持ち味があることを感じました。「題を読み込んだ句は没にしました」また「題そのものを表現しなければ駄目ですよ」選者によって言う事が違う、初心者の私には分らない。

◎没句でも良い僕の句は僕なんだ
 入選句には知り合いも多数ありましたが、圧巻は
自慢する顔がだんだん若くなる 塚本 寄道 詠
 高校生と聞いてびっくりでした。講評が終わった頃、抜け出して三島市内へ。駅前の楽寿園の菊展を見ながら散策をして二日目を終了。
 三日目は修善寺温泉で遊歩道を散策しながら100%そば粉の手打ちそばを賞味満足。翌日は予定変更して伊豆箱根鉄道で三島まで帰り各駅停車で清水港へ。このルートが幸い修善寺から三島に着くまでずっと富士山を見る事が出来大満足。

◎富士山を仰ぎ過ぎたか痛い首
 この痛い首は三日ほど続きました。
清水港でも富士山に迎えられ感動。商店街も国文祭ムード一色でした。富士の高嶺の白雪が溶けて流れる眞清水で男磨いた勇み肌 森の石松良い男・・・
清水の次郎長を偲びながら町を散策。此処でお茶をお土産に買って静岡へ。駅前のホテルに泊まり旅の終了。富士を見る旅は天候に恵まれ大成功。川柳大会も有名な先生方のお話が聞かれ感激でした。
 
 何より良かったのはたかね川柳会の皆様に御会い出来た事です。

巻頭沈思考 | Link |
(2009/12/27(Sat) 08:09:24)

ションベンのような句  静岡市  加藤 鰹

いきいきと死んでゐるなり水中花  櫂 未知子
いきいきと死んでをるなり兜虫   奥坂 まや
これは、少し前に盗作問題騒ぎとなった俳句である。結局、奥坂氏が櫂氏の元句を知っていたと認めたことで、句を抹消して一件落着となったのだが、俳句専門家からは「元々命のない水中花より、以前は生きていた兜虫のほうが写生として優れている。これは奥坂氏の本家取りである」といった意見が多く聞かれた。
しかし、川柳愛好家に「どちらの句が好きか?」と訊いてみると、殆どの方が水中花に軍配を挙げる。それは、カブト虫がまるで生きているようだ、には「自分自身」が不在であり、あくまでも客観的。それに対して水中花は自分の分身であり、「寂しい気持ち」の暗喩が感じられるからではなかろうか。
 川柳や俳句はたった十七文字で表現する《世界で一番短い詩》と言われる。(最近は佐藤美文氏の励行する十四字詩も盛んに行なわれているが)それ故に「同想句」「類似句」「盗作問題」が後を絶たない。
 特に川柳の場合は句会や大会などで「兼題」により作句する場合が多いので、たとえ小さな句会でも同想句が生まれやすい。選をしていて、一字一句違わない句箋に出くわすこともよくある。
 かく言う僕もこんなことがあった。
「空」(表現自由)という課題が出た大会での作句。
 空っぽのハートに響く雨の音
 という句を作ったのだが、大会には提出せずにいた。そして、他の人の入選句披講を聞いていたら
 空っぽの心に響く雨の音
という句が読み上げられたのだ。「ギョッ」とした。思わず呼名してしまいそうになった。(笑)
 しかし、僕はその句を出さなかったのだから、その作者が盗作した訳ではない。完全な暗合句である。
 その事を当時静岡市川柳協会の会長さんだった山田迷泡氏に話すと「オメ〜はそんなションベンみてえな発想の句ばかり作っているから他の人と似ちまうんだよ」と一笑されてしまった。言われてみれば確かにありふれた発想の句かも知れないなと反省した。
 愛知県の猛者、浅利猪一郎さんとお会いした時にも「鰹さんの句を見て、僕の句とよく似ていたから訴えようかと思ったことがあるんだよ」と笑いながら言われ、またまた「ギョッ」とした。そしてまた、最近川柳マガジンに出した句についても「この句は鰹さんの句ではないですね、落語家が喋っているのを聞いたことがあります」と匿名の手紙を貰った。(匿名はイケナイよ、謝罪も反論も出来ないじゃないか・・・)
「パッと思い浮かんだ句は他人もパッと思い浮かぶ句だから、捨てたほうがいい」とよく聞く。その辺りに注意しながら今後も作句をして行こう。
巻頭沈思考 | Link |
(2009/11/07(Fri) 14:18:02)

左富士  静岡市  望月 弘

左富士しばらく首を矯めなおし 古川柳一五三26 「左富士」とは死語になってしまったのだろうか?
その昔人間がてくてく歩く頃に、東海道を江戸から下って来ると富士山はいつも右手に鎮座していた。しかし唯一左手に拝める場所があった。それは現代の富士市吉原で「左富士」の旧蹟が残っている。
徒歩や籠で旅した旧東海道から、自動車の走る国道一号線になり、更にバイパスが出来てその名も忘れられてしまった。てくてく歩いた旧東海道は道が曲がりくねっていた為に、物理的に左手に富士が見えただけのことではあるが、「それを言っちゃあおしめいだ!」
と言う声も聞こえてきそうだ。昔の旅人にとっては不思議でもあり、長い旅道中の慰めでもあったことは確かだったろう。
 しかし、今でも左富士を楽しめる場所がある。JR東海道線の電車の中からだが、富士川駅から新蒲原駅に向かって間もなく左手に霊峰富士が顔を出す。僅か二十秒たらずだがこの瞬間がたまらなく幸福感に浸れる。乗客の多くは見慣れているのか無頓着なのか、一向に気にしていないからこれも不思議だ。私にとっては私だけの富士山のようで、ますます親近感に浸れる一瞬でもある。
 新幹線の乗客は富士山が見えると一斉に声を出したりカメラに納めたりする。富士山は見える場所や角度、その日によって姿が違うのでいつ見ても見飽きることが無い。
 その昔、営業として富士地区を走り回っていた頃、行く先々で違う富士山に出合ってとても感動した。今思えばカメラに撮って置きたかったが、当時はいまのようなコンパクトなカメラもなく、残念に思う。
巻頭沈思考 | Link |
(2009/10/07(Tue) 14:13:55)

 

Copyright © 静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー. All Rights Reserved. /Script by[PHPウェブログシステム3.1 ネットマニア]