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左富士  静岡市  望月 弘

左富士しばらく首を矯めなおし 古川柳一五三26 「左富士」とは死語になってしまったのだろうか?
その昔人間がてくてく歩く頃に、東海道を江戸から下って来ると富士山はいつも右手に鎮座していた。しかし唯一左手に拝める場所があった。それは現代の富士市吉原で「左富士」の旧蹟が残っている。
徒歩や籠で旅した旧東海道から、自動車の走る国道一号線になり、更にバイパスが出来てその名も忘れられてしまった。てくてく歩いた旧東海道は道が曲がりくねっていた為に、物理的に左手に富士が見えただけのことではあるが、「それを言っちゃあおしめいだ!」
と言う声も聞こえてきそうだ。昔の旅人にとっては不思議でもあり、長い旅道中の慰めでもあったことは確かだったろう。
 しかし、今でも左富士を楽しめる場所がある。JR東海道線の電車の中からだが、富士川駅から新蒲原駅に向かって間もなく左手に霊峰富士が顔を出す。僅か二十秒たらずだがこの瞬間がたまらなく幸福感に浸れる。乗客の多くは見慣れているのか無頓着なのか、一向に気にしていないからこれも不思議だ。私にとっては私だけの富士山のようで、ますます親近感に浸れる一瞬でもある。
 新幹線の乗客は富士山が見えると一斉に声を出したりカメラに納めたりする。富士山は見える場所や角度、その日によって姿が違うのでいつ見ても見飽きることが無い。
 その昔、営業として富士地区を走り回っていた頃、行く先々で違う富士山に出合ってとても感動した。今思えばカメラに撮って置きたかったが、当時はいまのようなコンパクトなカメラもなく、残念に思う。
[54] (2009/10/07(Tue) 14:13:55)



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