静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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慌てる乞食は貰いが少ない(前 編)

浜松市   寺脇 龍狂

 昭和六年三月大不況の真っ只中、小学校を卒業した。
不景気のドン底で働き盛りの大人でも仕事がなかった時代、学校を出たばかりの子供に働き場などある筈はない。
親類の世話で浜松の商家へ小僧奉公にいった。今と違って小僧の人権など虫けら同然月の手当が一円(兄弟子たちはみな身内でもっと安かったらしいが、他人の私が割り込んだので値上げしたらしい)月二回、一日、十五日のお休みに五十銭づつ戴いた。それでも休日の二日はキチンと休ませてくれた。
 反面物価も安くて大饅頭が五銭、お好み焼一銭、ミカン水二銭、煙草は一番安いゴールデンバットが七銭(これはまだ子供で買えなかったが・・・)夜店へ行くと作業ズボンが一円で買えた。
 朝は三時に起こされ麦飯に沢庵、冬は鰯の目刺しばかり、夜九時就寝だが外出など絶対許可されず夕食後は親方夫婦の肩叩き、四人の小僧に布団は二組、二人一組で寝た。
布団干しなど一度もした覚えはない。こんな話、きょうびの子供に聞かせてもマンガにもならないと思うが、まずくても腹一杯食べられたのが儲けぐらいか。
 忘れもしないが、夏みんなで弁天島へ海水浴に行ったときお握り持参だったが、十銭で一日遊ばせて貰ったが確かに安かった。

 住み込んで間もなく活動写真を見せて貰う機会があった。おそらくビラ下(町へ貼る広告の下の隅についている三角の無料券のこと)を貰ったので新米の私に特に行かせてくれたものだと思うが、これはとても嬉しかった。
喜び勇んで吾妻座という日活専門の活動小屋に行った。
その時初めてまともな映画館へ入り本格的に見物したわけだ。
 日活映画「心の日月」という題名で、原作は菊池寛、主演が入江たか子、小杉勇、嶋耕二、峰吟子ぐらいに記憶している。
初めて映画を見た訳だが、秋葉山の山猿の子が、入江たか子という素晴らしい美人女優の写真を見て、その気品高い清純な容姿に圧倒され、天女にでも遇ったような驚きと感動をおぼえた。
 勿論まだ無声映画の時代で弁士の説明つき。その代わり必ずプログラムをくれて、それにあらすじが書いてあるので始まる前に読んで大筋は呑み込んでいる訳だ。
ストーリーは岡山の青年が東京の恋人に逢うために上京したが、中央線の飯田橋駅で下車した際出口を間違え反対側へ出たため首をながくして待っていた彼女に逢うことができず、事は予想外の発展となり、お互いに最終的には思わざる人と結ばれる結果になったというような筋書きだったと思う。因みに入江たか子という女優は東坊城子爵という華族の令嬢で、家庭の事情で女優になったということを後から知った。田舎者には想像もつかないが駅の出口が両側にあったということが、この男女の人生を大きく狂わせてしまったことは強烈に印象に残った。

閑話休題、話は飛んで爾来春風秋雨幾星霜、昭和四十年頃製材会社に勤める身となり図らずも東京へ商売に行く仕事に携わるようになった。  ―続きは次号で―

[12] (2006/05/09(Mon) 00:43:39)



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