静岡川柳たかねバックナンバー
トップページへ







 

「あっち向いて、牌」

高瀬 霜石


 前号で、江戸っ子は白米を食べていたと書いた。スペースの関係上、説明不足だったと思うので、もう少し詳しく述べたい。
 江戸の町と限定するのには、訳があるのだ。当時、江戸以外の地方では、玄米食(というよりは雑穀食)が主流で、白米はせいぜい正月くらいだったという。
 それが江戸に限り毎日白米を食べていたのは「将軍様のおひざもと」を自負していて、なんでもかんでも将軍さまの真似をしたがったからである。
 白米を食べるのには、各々で精米をしなくてはならない。これは結構な力仕事であるから、女所帯や無精者にはきつい。当然のこと、需要と供給の関係で「搗米屋」という生業も現れたのだった。
「搗家幸兵衛」というマイナーな落語がある。
 家主の幸兵衛の所へ家を借りに来た男が搗米屋と聞いて、幸兵衛がぽつぽつ身の上話を始める。
 昔、自分には美人で気立てのいい満点女房がいたが、ふとしたことで寝込み、医者に死期を告げられた。それに気づいた女房が、後添えには他の女ではなく必ず私の妹を貰ってくれと頼み、承知すると安心したか息を引きとった。その妹が姉に劣らず優しくしてくれるので、私はなんと女房運がいいのだろうと喜んでいた。
 ところが、その妹がなにか気に病んでいるので聞くと、姉は自分で頼んでおきながら、実は恨んでいるのではないか。その証拠に、毎朝お茶湯を上げに仏壇の扉を開くと、位牌が後ろ向きになっている。妹は気病みが高じて、間もなく姉の後を追う。
 幸兵衛は嘆きつつ、新しい位牌を作って並べる。翌朝お茶湯を上げに仏壇の扉を開くと、なんと二基とも後ろ向きになっているではないか。腹立たしくも気味悪く、狐狸のいたずらかと、扉を開けて夜っぴて位牌を睨み続ける。夜中は何も変わりがない。明け方、搗米屋が米を搗き始める。ズシン、ズシンという振動につれて、位牌が回って後ろ向きになった。
 先の女房はともかく、後の女房は位牌の異変を恐れて死んだのだから、搗米屋に殺されたようなものだ。いつか搗米屋が越して来たらと待っていた。おのれ、女房の仇、それへ直れ!。
「米を搗く」という行為を知らない人が多数を占める今。この落語も、自然淘汰されてゆく運命なのだろう。





[11] (2006/03/08(Tue) 19:28:43)



霜石コンフィデンシャル39 >> << 霜石コンフィデンシャル36
Copyright © 静岡川柳たかねバックナンバー. All Rights Reserved.