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「七年目の本気」

高瀬 霜石


 今や弘前市民にすっかり溶け込んだFM「アップルウェーブ(A・W)の開局当初。せいぜい保って三、四年だろうなんて声が聞こえたりしたものだったが、その予想(?)を見事に覆し、この三月四日、めでたく七年目に突入した。
 開局の年は二〇〇〇年。僕はきっかり五十歳で、珍しく元旦に誓いをたてたので、よーく覚えているのだ。
 僕の父はスポーツマンだったけれども、七十歳で他界した。不肖の息子である僕の寿命は、せいぜい亡父の八掛けから九掛けがいいところだろうと踏んだ。そして、残り時間が少ないことにはたと気づいた。
 二千年=二専念とシャレてみた。浮世の義理で入っていたボランティア団体などにエイッと辞表を出し、「生業(自動車部品販売業)」と、生涯の友と決めた「川柳」の二つに専念して暮らそうと心に誓った。
 そんなある日、A・Wの開局準備室から電話が入った。僕の生業は、顧客が特定少数。ラジオのコマーシャルなんか全く必要ないのだが、高校の同期生がここの社長に決まっていた関係で、一番安いコースをつきあうしかないなあと諦めていた矢先だった。

「高瀬さん。高瀬さんは宣伝費なんていりませんよ」
「エッ?本当?嬉しいなあ。君、いい男だね」
「でもね、高瀬さん。そのかわりと言っちゃあナンですがね。高瀬さんには身体で払ってもらえませんか」
「エッ?なんだって?」
「聞こえませんでしたか。身体です。カ・ラ・ダ」



 そんな不純(?)なやりとりから始まった午後の三時の「霜石のやじうま川柳」は、すでに千五百回を超えた。
 その間僕は、母の葬儀で友人に二週間ピンチンヒッターを頼んだり、風邪で声が出ず一回休んだりしたけれども、パートナーの倉田和恵アナウンサーは、一度も休んだことがないからたいしたものである。
 彼女は、これも開局以来続いている「津軽いじん館」もパーフェクトにこなしている。日頃からエアロビクスやら、愛犬の散歩とかで鍛えているにしても、肝心
なのは確固たるプロ意識だろうと、間近で見て思う。
 僕は素人だが、彼女に刺激されて誓いをたてた。目標は「やじうま川柳」二千回である。「継続は力なり」って本当だなあと、近頃とみに感じている。



[12] (2006/05/08(Sun) 19:34:38)



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