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霜石コンフィデンシャル51     高瀬 霜石

 「 赤い○○○○ 」
 いきなり、クイズです。「赤い○○○○」に適当な言葉を入れなさい。
 「ふんどし」は古過ぎる。「はなびら」なら、赤じゃなくて黒だしね。水原弘もいかにも古い。裕次郎ファンだったら「ハンカチ」だろうけど、彼もとうに故人。
 今年は誰がなんと言おうと「くつした」ですよ。そう、ボストン・レッドソックス。松坂大輔獲得のために、西武ライオンズに大枚六十二億円を払ったあの太っ腹な球団だ。
 日本ではメジャー・リーグ=ニューヨーク・ヤンキーズのこと。それもそのはず、あの有名なベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、モンローと結婚したジョー・ディマジオ、そしてゴジラ松井とみーんなヤンキースの選手だ。
 そのヤンキースの宿敵が、レッド・ソックス。何を隠そう、僕はレッド・ソックスファン。それはある男の存在を知ってからだった。
 デッド・ウイリアムズ(以下、デッド)という名選手がいた。1941年(昭和十六年。日米開戦の年)のこと。彼の打率は、翌日の最終戦のダブルヘッダーを残して。3割9分9厘5毛だったという。
四捨五入すれば4割だからと、監督は彼に欠場をすすめたが「最後の試合で4割を打てなかったら、4割打者という名前に値しないことになる」と言い張り、打席に立った。
 最後のその2試合の結果は、8打数6安打。最終成績を4割6厘とした。それ以降、メジャー・リーグに4割打者は生まれていない。
テッドは三冠王を2度など、数々の記録をうちたてたが、残念なことに、彼はプレイヤーとしての最盛期の4年半を、第二次世界大戦と朝鮮戦争の2度の兵役で棒に振ったために、ホームラン記録(521本)は、ベーブ・ルースに遠く及ばない。本当に惜しく、まことに悔しい。
 完全主義者の彼は、社交性に乏しく、頑固でぶっきらぼう、当然記者には嫌われるが、彼には誰にも知られたくない秘密があった。
 彼はとあることから、小児がん患者のジミー少年と知り合い、以来、一人でこっそり小児がんと闘う子供たちの為に援助をしていた。その事がいつしかチームメイトの知るところとなり、仲間もぽつぽつ増えていったが、マスコミにはひた隠しにしていたという。売名行為と思われたくなかったからだろうが、なんともジョッパリの彼らしい。
 僕は三十年前くらいに「がんの子供を守る会」に入会した、ここまできて、ようやく何故僕がレッド・ソックスファンになったのかお分かり戴けたと思う。そう、「子供のがん」つながりというわけだ。
 正月の福袋は、売れ残りを詰めてあるから安いというイメージがある。だから何年も買ったことがなかったが、今年は買ってみた。普通のオヤジはとても履きそうもない真っ赤な靴下が入っていたのには驚いた。
 松坂大輔が登板する日は、これを履いてテレビ観戦しようと決めている。
[24] (2007/05/26(Fri) 08:38:05)



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