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慌てる乞食は貰いが少ない(後編)

浜松市   寺脇 龍狂

 昭和四十年頃製材会社に勤める身となり図らずも東京へ商売に行く仕事に携わるようになった。  
 最初は社長と同行して御得意先を一回りしてきたが、次からは当然一人、東京は終戦後一度だけ行ったきりで西も東も全く不案内。ある時、初めての店へ集金に行くことになった。神田神保町の材木問屋、向こうの係はいちど逢ったことのある人なので、この人を頼りに出張した。
 几帳面な社長がメモに子供でも分かるように克明に汽車、電車の乗り降りを書いてくれ、それと首っぴきで中央線の水道橋駅へおり、メモどおりに進行方向の左側へ出て十五分くらい歩いて無事目的の店へ到着。集金をすませ、今きた道を戻って今度は別の店へ向かった。このときはすんなり行けて何のこともなかったが問題は二回目、半年くらい経ってまたこの店に集金に行った。
 前回うまく行けたので今度は朝飯前とタカをくくって中央線へ乗った。水道橋駅へおりて半分成功したつもりで少し歩いたが、ちょっと変。半年前だから多少は前の記憶が町並みにあるはずなのに全然違う、途中日本大学があったが見当たらない。三菱銀行神田支店が角にあってそこを左折してじきに目当ての材木屋へ出たはずなのに銀行がない。アレ変だなと思いながら歩いたが丸っきり違う。コリャおかしい、気が付いて一度戻って水道橋駅から出直すことにした。駅に戻ってみたが駅に変わりはない。
 そんなバカな事はない、おれは気が狂ったのか、思案にくれてまた思いなおして歩いてみたがやっぱり違う。どういうことだ、万策つきて舗道へ座り込んで考えた。
前回どおり寸分たがわぬ道を歩いたのに全然違う。誰かに聞きたくても東京には間抜けな田舎っぺに付き合ってくれるヒマ仁はいない。泣きたい気持ちで座っていたら丁度そこへ人の良さそうな中年紳士が通りかかったので思い切ってこの人をつかまえて事情を話した。
思いがけない親切な人でしばらく考えていたが「あんた反対の出口へ出たんじゃないか」と言う。ハタと思いついた。東京の駅には両方の出口があるということを。
反対、反対、生き返った思いで紳士に礼もそこそこ水道橋駅へ引き返し、向こう側へ出て少し歩いたら、ある、ある!見覚えのある町並み、日本大学へ出た、心の中で先程の紳士に手を合わせながら、三菱銀行を左折して目的の店へ到着した。
なあんだ、他愛もない、基本通りに行動すればなんでもないのについなめて横着したばかりに三年も寿命を縮めてしまった、まあ別に損した訳でもないが、田舎者丸出しのいい恥さらし、人に話せる事ではない。向こうの店ではなに食わぬ顔で集金もそこそこに辞去して帰った。
仕事終わって帰りの車中前途の映画を思い出し、いろいろの想いが去来した。
いい勉強になった、やりなおしが出来たからいいようなものの、世の中慎重に行動しないと思いがけない事が起きるもんだ。自分のトンマは棚に上げて先の映画の成り行きに思いを新たにした。
 
この映画の影響で私は今でも日活ファンである。

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(2006/05/09(Mon) 00:43:39)

慌てる乞食は貰いが少ない(前 編)

浜松市   寺脇 龍狂

 昭和六年三月大不況の真っ只中、小学校を卒業した。
不景気のドン底で働き盛りの大人でも仕事がなかった時代、学校を出たばかりの子供に働き場などある筈はない。
親類の世話で浜松の商家へ小僧奉公にいった。今と違って小僧の人権など虫けら同然月の手当が一円(兄弟子たちはみな身内でもっと安かったらしいが、他人の私が割り込んだので値上げしたらしい)月二回、一日、十五日のお休みに五十銭づつ戴いた。それでも休日の二日はキチンと休ませてくれた。
 反面物価も安くて大饅頭が五銭、お好み焼一銭、ミカン水二銭、煙草は一番安いゴールデンバットが七銭(これはまだ子供で買えなかったが・・・)夜店へ行くと作業ズボンが一円で買えた。
 朝は三時に起こされ麦飯に沢庵、冬は鰯の目刺しばかり、夜九時就寝だが外出など絶対許可されず夕食後は親方夫婦の肩叩き、四人の小僧に布団は二組、二人一組で寝た。
布団干しなど一度もした覚えはない。こんな話、きょうびの子供に聞かせてもマンガにもならないと思うが、まずくても腹一杯食べられたのが儲けぐらいか。
 忘れもしないが、夏みんなで弁天島へ海水浴に行ったときお握り持参だったが、十銭で一日遊ばせて貰ったが確かに安かった。

 住み込んで間もなく活動写真を見せて貰う機会があった。おそらくビラ下(町へ貼る広告の下の隅についている三角の無料券のこと)を貰ったので新米の私に特に行かせてくれたものだと思うが、これはとても嬉しかった。
喜び勇んで吾妻座という日活専門の活動小屋に行った。
その時初めてまともな映画館へ入り本格的に見物したわけだ。
 日活映画「心の日月」という題名で、原作は菊池寛、主演が入江たか子、小杉勇、嶋耕二、峰吟子ぐらいに記憶している。
初めて映画を見た訳だが、秋葉山の山猿の子が、入江たか子という素晴らしい美人女優の写真を見て、その気品高い清純な容姿に圧倒され、天女にでも遇ったような驚きと感動をおぼえた。
 勿論まだ無声映画の時代で弁士の説明つき。その代わり必ずプログラムをくれて、それにあらすじが書いてあるので始まる前に読んで大筋は呑み込んでいる訳だ。
ストーリーは岡山の青年が東京の恋人に逢うために上京したが、中央線の飯田橋駅で下車した際出口を間違え反対側へ出たため首をながくして待っていた彼女に逢うことができず、事は予想外の発展となり、お互いに最終的には思わざる人と結ばれる結果になったというような筋書きだったと思う。因みに入江たか子という女優は東坊城子爵という華族の令嬢で、家庭の事情で女優になったということを後から知った。田舎者には想像もつかないが駅の出口が両側にあったということが、この男女の人生を大きく狂わせてしまったことは強烈に印象に残った。

閑話休題、話は飛んで爾来春風秋雨幾星霜、昭和四十年頃製材会社に勤める身となり図らずも東京へ商売に行く仕事に携わるようになった。  ―続きは次号で―

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(2006/05/09(Mon) 00:43:39)

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