静岡川柳たかね 巻頭沈思考バックナンバー
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東葛川柳珍道中 浜松市 今井 卓まる

 2009年1月24日(日)午前四時半、目覚まし時計のベルが鳴った。いつもと同じ音なのだろうけど、僕の耳にはいつもと違うように聞こえたベルの音は、僕たち親子3人の特別な日の門出を祝う『出発ベル』のように思えた。
 僕たちは、千葉県柏市で行われる『第十七回今川乱魚ユーモア川柳大賞』の表彰式に出席するために早起きをしたのだ。実は、うちの侑(女・小一、特技・給食のおかわり)がジュニア特別賞なるものを頂いてしまったのだ。僕が去年の4月に川柳を勧められ、侑にも試しにやらせてみるかな?という軽い気持ちで、お父さんからの夏休みの宿題ということで応募させてみたら、こんな結果になってしまった。(侑にとっては、初詠に等しい句であった)
 柏に向かう道中は、やはり僕たちらしい旅だった。まず仕出かしたのは、うちの嫁・正美。浜松駅に向かうタクシーに乗ろうとした瞬間、『あっ、ケータイ忘れた』家に戻り探したがケータイはなく、結局持っていた鞄のなかにあったのだ。次は侑。高速バスが首都高を降り、国会議事堂が見えてきた辺りで、眼をキラキラ光らせながら『ピラミッドだ!』僕と正美は『おい、お〜い。』と言いながら顔を見合わせた。また少し経つと『ダム?』正美は、間髪入れず『ちがう違う!皇居のお堀。』侑は舌が回らず『皇居の氷?』そんな感じで
東京駅に到着し電車の乗り換え、いざ柏へ!
 柏の駅を降りると身に凍みるような寒さだった。気温を示す電光掲示板の表示は2℃だった。会場の到着して受付を済まし、『東葛川柳会』のスタッフの方々にパソコンで自作した名刺を持ち挨拶に回った。今川乱魚さん、江畑哲男さん、中澤巌さん、大戸和興さん、植竹団扇さん、成島静枝さん、田制圀彦さん、皆さんとても良い方ばかりで、僕たちを歓迎してくれた。
 そして、本日のメインイベントの表彰式!普段は甘えん坊で、知らない人の前では正美の手やら腕を握って離さず、後ろに隠れてモゾモゾしがちだった侑なのだが、当日は主催の方々への挨拶もシッカリとでき、表彰式でも凛々しい姿を見せてくれた。
 賞状と副賞と娘の句をタイル焼きにして頂いた記念品を小さな腕イッパイに抱え、満面の笑みで記念撮影をして頂いた時の堂々たる娘の姿を見ていたら、『こうやって徐々に僕から離れて、大人になって行くんだなあ・・・』って感じてしまった。表彰式を終え、侑と正美はさっさと帰っていったが、僕は引き続き参加者約150名の句会に参加した。たかねの句会しか知らない僕は物凄く緊張した。句会の結果はイマイチであったが、僕にとって良い経験となった。
 最後に、入賞した侑の句と一次選考を通過した僕の句を記して結びとしたい。

 おとうさんなぞのポケットありますね   侑
 あれ居たの僕と妻との合言葉      卓まる



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(2009/03/29(Sat) 13:41:39)

ある疑問 高瀬 輝男

 無脊髄で複数の翅、そして複数の脚を持つというのが、いわゆる「昆虫」と称される条件のようである。そして私の目の前を小さな小さな、名も知らぬ虫が翔んでいる。それこそ身体全体の大きさは1ミリにも満たぬゴマ粒よりも小さな虫である。多分昆虫の一種と見ていいだろう。
 と、すると幾つかの疑問が湧いてくる。こんな小さな虫でも何かを食べるとか、何かの方法で“食”が絶対に必要である。更には飛んでいるという事は翅も必要だ。また、当然子孫を残さなければならない。その為にはメスとオスが居るだろうし、或いは巣や卵なども考えられる。
 わが家での最大のレンズを以ってこれ等を監察しようとしたが、四倍ぐらいでは何一つわからない。食事の方は吸うとか飲むという手もあるし、巣など別に必要ないのかも知れない。
残された問題はどういう方法で子孫を残すか?である。どうも助平の私はこうなるとセックスの方へ頭が行ってしまう。こんなゴマ粒にも満たない生き物に性器というものがあるのだろうか?いや、無とするならば子孫は残せない。また、卵からとするならば母体自体がゴマ粒ほどの大きさなのにどんな卵を産むのだろうか?それより性交というものは・・・?等など考えると眠れなくなってしまいそうだ。
 クラゲの研究でノーベル賞を戴いた学者が出たが、私もこの小さな小さな生物を研究してみたいものである。惜しい事にどうも私の頭では一寸無理なようだし、研究に必要な用器具を手に入れる程の財産もない。
 止むを得ず、残念ながらノーベル賞は断念の外なおようだ。どなたか私に変って研究して頂きたいもの。せめて子孫を残す方法とか手段を私が生きているうちに知りたいと思っている次第。 

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(2009/02/22(Sat) 13:35:15)

今年もよろしくお願い致します 加藤 鰹

平成二十一年の幕が開きました。皆さん、のんびりとした、いいお正月を過ごしていらっしゃいますか?
 考えてみれば当たり前の事なのですが、元号が昭和から平成に変わって、もう丸二十年も経つんですよね。本当に光陰矢の如し。早いものですね〜。
 昭和の最後の年、六十三年の年末、当時二十三才だった僕は、茨城県土浦市の本田材木店(現在のジョイフル本田)で初売りの準備をしていました。テレビやラジオでは刻一刻と昭和天皇の病状、血圧や脈拍を伝えていたのを覚えています。
 そこで僕は第一子、長女の誕生を知らされました。年が明け、初売りが終った直後に昭和天皇が崩御。あの時はどこもかしこも真っ暗闇でした。東京の夜があれほど暗かったのは後にも先にも記憶がありません。
 あの時生まれた長女も今年めでたく成人式ですから、やっぱり昨日のように覚えている記憶も二十年という月日が経っているんだなぁ・・・。
 僕は昭和三十九年生まれ、同級生には昭和四十年生まれがいて「三十年代生まれと四十年代生まれ」みたいな段差がありましたが、長女の同級生には“平成生まれ”がいるのです。そのうち「え〜〜アンタ昭和?」なんて言われちゃったりして(笑)
 さて、本年はいよいよ国民文化祭が我が静岡県にて開催されますが、その予行練習となるプレ国民文化祭川柳大会(兼、静岡県川柳大会)が、去る十一月三十日、長泉町で開催されました。
 僕は当日の大会には仕事の都合で参加出来なかったのですが、前日、奈良県や山梨県から泊まりで参加してくれた人たちと一緒にレストラン「kiya」(山本野次馬さんのお店)でランチ。その後、柿田川湧水公園や三島大社を観光し、夜には三島駅近くの居酒屋で大いに盛り上がりました。川柳の仲間って本当にいいなあと、こういう時にしみじみ感じますね。 
 プレ大会当日の入選句など内容に関しては、まだ届いていないのでよく解りませんが、参加人数が百八十名と聞いてちょっと淋しいなと思いました。
 遠方の川柳大会に参加する条件は幾つかありますが @義理 A会いたい人がいる B選者の魅力 この3つが動員を大きく動かします。今回のプレ大会が、例年の県大会(合点制)のやり方と大きく違うという点を各吟社代表などに説明不足だったのも一因だったのではないでしょうか。
 さあ、泣いても笑っても今年が国民文化祭しずおか本番大会です。県内柳人一致団結のもとで大成功させましょう。ご協力よろしくお願い致します。

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(2009/01/29(Wed) 13:27:01)

 

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