静岡川柳たかねバックナンバー
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霜石コンフィデンシャル79   高瀬 霜石

「座敷オヤジ」

 「座敷ワラシ」の話は、皆さん知ってますよねえ。この座敷ワラシ(男の子です)、一般には、旧家に出没する子供の妖怪のことだが、一番有名なのが、岩手県二戸市にある金田一温泉郷の中にある緑風荘というところ。
 僕の高校の先輩でもあり、僕を川柳の道に引きずり込んだ拉致犯人(?)の渋谷伯龍さんに誘われて、そこに一泊二日の旅をしたのが、今回の事の発端であった。
 緑風荘という旅館は、とても古くて、とても大きい旅館。座敷ワラシは、その旅館の一番奥にある槐(エンジュ)の間にだけしか出没しないという。この部屋の予約は、なんと、三年先まで予約で一杯だというから驚いた。
 座敷ワラシの歴史は、今から660年ほど前(南北朝時代)に溯る。
ここのご先祖様は、南朝(後醍醐天皇)方に仕えていたのだけれども、北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ、落武者となる。そして、南部に落ちのびて来たんだと。 
時の当主には、6歳と4歳の2人の男の子がいたのだが、兄の亀麿(かめまろ)は病に倒れ、短い生涯をこの地で終える。その亀麿クンの霊が、奥座敷に棲みつき、「家の守り神」の座敷ワラシとなって、ときおり顔を見せるようになったんだと。
話は、実は、ここからが肝心。この槐の間に、立ち入ったり休憩をした人には―たとえ座敷ワラシと遭遇しなくても―幸運が訪れるということになっているのだから大変だ。
その証拠に、槐の間の四方は亀麿クンへの感謝のプレゼントでいっぱい。オモチャがいっぱいあるのは、けっして気持ちのいいものではない。
ところが、これは亀麿クンへの感謝のプレゼントだから、当然のこと新品。オモチャに霊気はこもっていないから、怖くはないのだが、見ると一瞬、ウジャラッとはします。
今回の旅では「座敷ワラシ」には誰も遭遇しなかったが、オラは、実は、ちょっと不思議な体験をしたのですよ。そして、その後、オラの身にとってもラッキーなことが起こったのですよ。紙面の都合で、詳しく書けないのが残念だけれども、これはホントのホント。
詳しい話を聞きたい人は、十一月一日の静岡国民文化祭川柳大会でぜひともお会いしましょう。まだまだオラには「ツキ」があると思うので、オラに触ったりすると、亀麿クンの御利益がアナタにひっついてゆくかもしれませんよ。
そうそう、それで、オラは今回のラッキー騒動の後、すぐ亀麿クンに、商売柄ミニカーを贈ったということを報告し、オラの「座敷ワラシ・リポート」とさせて戴きます。
※事務局より
霜石さんはこのほど第6回大野風柳賞(グランプリ)を受賞されました。本当におめでとうございます。


霜石コンフィデンシャル | Link |
(2009/09/07(Sun) 13:42:31)

霜石コンフィデンシャル78   高瀬 霜石

「センリュウ・コネクション」

 前号で、渋谷伯龍さんの出演しているNHKテレビ「お国言葉で川柳」の裏話めいたことを書いた。
 伯龍さんとは、もう長いつきあいだ。
 僕がまだ三十代前半で、青年会議所(JC)に所属していた頃、ボーイスカウト隊長のシブさん(三十代後半)に、子供のキャンプの指導をして貰ったのがきっかけ。
 僕は、正直、こういうタイプは苦手であった。ボーイスカウトというとアウトドア派でしょ。僕は、暇さえあれば映画館にこもる正真正銘のインドア派だ。
 しかも、彼は始末の悪いことに、応援団の元団長という猛者ではないか。できればこういう危険人物(?)には近づきたくなかったのだが、話して驚いた。
 彼は映画好きで、しかもかなりの読書家であった。お互い、推理小説ファンで、特にジェフリー・アーチャーやフレデリック・フォーサイスの愛読者ということが分かり、グンと距離が縮まったのだった。
 川柳の道に僕を引きずり込んだのもシブさん。誘われて断りきれなくなったらしい。自分ひとりで行けばいいものを、無理やり僕の首に縄を付けて離さない。なにせ、高校の先輩で、兄とも慕う人だから困った。
「シブさん。敬愛するシブさんの頼みならたいていの事は聞きますよ。でも、これだけは勘弁してけ。なぜって、ビートルズ世代のオラだよ。ロックン・ロール男が、ジジ臭い川柳なんてやれるわけネーべさ」
「タガセくん。一回でいいから、つきあってよ。それにさあ、タガセくん。アンタにピッタリだと思うよ。なぜって、アンタは、結構ハンカクサイもの」
 今や川柳の伝道師と呼ばれている渋谷伯龍も、当時はまだ、川柳ってハンカクサイものだと思っていたのだから、若かった、青かったのだ。
 川柳を齧っていなかったら、どうだっただろう。
 今の僕は、生業をのぞけば、ほとんど朝から晩まで、川柳浸けの毎日だ。自分の考えを素直に発言できるラジオ番組や、思いの丈をあれこれ発表できるこういう連載があるので、ストレスなどまったく溜まらない。
 これらのことはすべからく、僕が《川柳人》であるからこそ与えられた「場」に違いない。
 僕にとって、あの日のシブさんは、間違いなく「拉致犯」であった。あれから二十五年が過ぎた。「拉致犯・シブ」は見事「恩人・伯龍」に格上げとなった。
霜石コンフィデンシャル | Link |
(2009/08/29(Fri) 15:10:40)

霜石コンフィデンシャル77   高瀬 霜石

「オールド・ルーキー」

 突然、浮世の義理で、断りきれなくて、テレビの川柳番組に出なくてはならなくなった。ラジオはまだいい。なにせ声だけだもの。でも、テレビは大変。
 実は十年ほど前にも、テレビ出演の話があったのだ。もう時効だから、バラしてもいいだろう。
 NHK総合テレビ、毎月第1金曜日の夜7時半から「渋谷伯龍のお国言葉で川柳」という番組がある。 以前は、夕方に流れていたのだが、人気が沸騰。去年からゴールデンタイムへと昇格したのだった。
 この番組が生まれる少し前、仙台から発信していた「方言川柳番組」があった。企画は面白いけれど、東北6県全ての方言を扱うのはとても無理となり―そりゃそうだ。青森県ひとつとってみても、津軽弁、南部弁、下北弁とあるんだもの―各県ごとに独自に方言川柳番組を制作することになっていたのだ。
 その仙台のキー局を束ねていたのは、美人で切れ者で名高い、仙台は「宮城野川柳社」の雫石隆子主幹(当時は編集長)その彼女からの紹介ということで、NHKのプロデユーサーだったか、ディレクターだったかが、オラの所にやってきた。
「雫石隆子さんは、青森県は、高瀬霜石さんに頼めば大丈夫だということで、お願いにきたのですが」
「マイネ。マイネ。(注・ダメだ)醜いモノを世間に晒さないちゅうのが、オラのモットー。美学だな」
「高瀬さんは、ラジオにも出ているということで、話のリズムはいいし、なんとか頼みます」
「何度も言うように、オラはダメ。でもどうしてもとアナタが言うんなら、面コ被ってもいいが?」
「ハッ?お面ですか?冗談でしょ。仮にも、天下のNHKですよ。そ、そ、そんなのは無理ですよ」
「そんなら、NHKさん、最適な人を紹介します。なにせ、津軽弁研究家。かつ、川柳人。しかも、画家で、いい男ときているから、もうバッチリですよ」
 親分とも兄貴ともいえる伯龍さんに、これに限ってはオラが振った仕事であった。今となっては、伯龍さん自身のライフワークともいえる番組に成長したのだから、オラとしては鼻高々なのである。オホン。
 この度、またも雫石隆子さんからの頼みで、どうにも逃げられなかった。3ヶ月に1回、仙台からの生放送。この醜い面体を、世間に晒している。アーア。
霜石コンフィデンシャル | Link |
(2009/07/29(Tue) 15:05:14)

 

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