平成十六年十一月九日、主人は旅立ってしまいました。六十六才の若さでした。覚悟はしていましたが、抜け殻のような毎日、ましてや住み慣れた家も再建中、そんな寂しく辛い日々でした。暫くの間マンション住まい、狭苦しい箱の部屋の中で苦しいやら淋しいやら…。少し気晴らしに本屋に行きました。こんな生活ではいけない、何か笑える事はないものか、しばらく立ち読みしていると「遺言川柳」の本を見つけました。正に今の私の状況にぴったり。まだその時点では主人の遺言書は開いていませんでしたが、その本を買い求めて読みました。つい笑ってしまい、息子は心配して「大丈夫か?」と聞いて来ます。ずっと涙ぐんでいた日々に突然声を立てて笑ったから異常にも思えたのかも知れませんね。五七五という短い文で気持ちや状景が浮かび納得できる。こんな文芸があったんですね。

 

翌朝の新聞の折り込みチラシにNHK川柳教室の生徒募集の案内を見て「ア!これだ、私が淋しさから立ち直るものは」と思いました。きっと主人が導いてくれているかの如く思いました。

 

とりあえず教室へ見学に行き、そこで加藤先生と出逢いました。とても気さくで、生徒の皆さんもとてもいい方ばかりでした。わけを話し、また気持ちの整理が出来たらと約束して、その後NHK教室に入れて頂きました。無知な私ですが、川柳はとても楽しく、また身に余る賞も幾つか頂きました。影で主人が応援してくれているかのように思われます。

 

姑を十一年、主人を九年間同時期に介護して、私なりに悔いのないように精一杯尽した後ですから、今私にこんな時間をご褒美に与えて下さったのでしょう。

 

主人は八人兄弟で、私が嫁いだ時は九人家族。上のお姉さん三人は嫁いでいました。専業農家で、梨、柿、米、みかん、野菜を作っていました。今考えると句の材料は思い出の中にいっぱいあります。田畑の仕事も少なくなり、体力の維持やストレス解消のためボウリングをしていました。辛い時は発散して忘れること。自分を見失わない為でもありました。おかげで介護も辛くなく、姑や夫に優しく接する事が出来たんだと思います。

 

私なりの言葉や感情を五七五に出来る川柳。とても楽しい趣味に出会えて幸せです。辛かった経験も私の宝になっています。

 

 

2014年2月号