「 拝 啓 亀 麿 様 」 高瀬 霜石

この10月。「座敷ワラシ」で有名な、岩手県二戸市の金田一温泉郷にある緑風荘なる旅館が全焼したニュースは、全国に流れた。僕も大いにドッテンした。

高校の先輩でもあり、いろんな意味で兄貴分でもあり、僕を川柳の道に引きずり込んだ拉致犯人(?)の渋谷伯龍さん――津軽弁研究家・㈲銘茶の玉雲堂会長――に誘われて、ここに泊まったのは、4月の半ば過ぎのことであった。

緑風荘は、とても大きい旅館。座敷ワラシは、この旅館の一番奥にある、10畳と12畳と10畳の細長い槐(エンジュ)の間にだけ出没するのだという。

3年先まで予約が一杯の槐の間に、運よくキャンセルがあったので、一緒に行くべしよということで、伯龍さんのおおせに従い、お供でくっついて行った。

座敷ワラシの名前は、亀麿という。6歳で病で倒れた亀麿クンは、南北朝時代から今日まで、ずーっと槐の間に棲みつき、家を守っているのだった。

この槐の間に、立ち入ったり、休憩した人には――たとえ亀麿クンに遭遇しなくともですよ――幸運が訪れるというから大変。その晩は、そこに雑魚寝した。

鴉カアで、夜が明ける。

同行した人たちで、亀麿クンに会った者は、残念ながら一人もいなかった。しかし、僕だけは――ちょっと不思議な体験をしたといえば――した。

それから約半年後、幸運が舞い降りた。死ぬまでに是非欲しいと思っていた賞にまぐれ当たりし、新潟に招待され、僕の句を刻んだでっかい碑を贈られた。

9月27日。仙台の宮城野川柳社の大会があって、選者に招かれた。司会者が「本日は、選者の霜石さんの還暦の誕生日です」とアナウンスしたので、2百人の割れんばかりの拍手。アドレナリンがぐんと出たのだろう、総合1位になってしまった。目立つこと、目立つこと。忘れられない還暦の誕生日となった。

それもこれも、みーんな亀麿クンのお陰。今回のお礼に、僕はミニカーを送ったのだが、遊ばないうちに焼けてしまったのかもしれないなあ。旅館は焼けたけれど、庭にある亀麿クンを祭ってある社(祠)は残ったと聞いて、少しホッとした。

一緒に行った伯龍さん、仲間の寺田北城さんにも、各々幸運が訪れたのだから驚くでしょ。ホントだよ。

※編集部より。霜石さんはその後「しずおか国民文化祭」においても教育長賞受賞。まだまだ亀麿君効果が続いています。