霜石コンフィデンシャル94 高瀬 霜石
「ALWAYS-ぼくの大晦日-」
「私にないものはない」が、母の口癖であった。
どういうことかというと、彼女は、9人きょうだいの真ん中―兄2人、姉2人、弟2人、妹2人いる、まるで目立たない位置。親から見ても、どうでもいい存在だったろうという、自虐的セリフである。
戦後、そのどうでもいい3女(つまり僕の母)の嫁ぎ先に、まず母親(僕の祖母)がやって来て住み着いた。やがて、下の2人の妹(僕の叔母たち)も来て、商売の手伝いをしたり、子供の世話をしたりして、結局死ぬまで一緒に暮らすことになったのだから、あー、人生はわからないものだという落ちがつくのである。
そんなわけで、僕が物心ついた頃の我が家は、祖母と、父と母と、2人の叔母と、そして僕の弟と妹の都合8人の大家族であった。今思えば、高瀬家の黄金時代だったのだなあ。毎日がそれは賑やかで、知らない人がしょっちゅう飯を食っていたりもした。
僕は、高校時代から、四十歳を過ぎる頃まで、友人とコンビを組んで、日記がわりに歌を作って遊んだ。
もう二十四年も前のことなのに、大晦日が近づくと、父の一周忌にちなんで作ったこの歌を思い出す。
◇ 大晦日 ◇
いつもより早く風呂に入り
新しい服に袖通す
神棚に手を合わせたなら
ご馳走並ぶ膳につく
着物姿の父と母は いつもより上機嫌
大晦日 大晦日
ぼくたちきょうだいも その夜だけは大人びて
除夜の鐘鳴るまで はしゃいでいた
いくつになっても大晦日だけは
家族全員 勢揃い
少しの酒ですぐ酔っ払う
下手くそな父の歌聞いた
床の間を背の父の席に 今年は僕が座っている
大晦日 大晦日
慣れない手つきで孫を抱き 照れていた父さん
去年はあんなに 元気だったのに
去年はあんなに 元気だったのに