霜石コンフィデンシャル95   高瀬 霜石

 

「 川 柳 双 六 」

川柳を齧って、もう二十五年が過ぎた。僕の川柳人生で、今年は特に大きな節目を迎えることになった。

 

気がついたら、この連載も今年中に(クビにならなければ)100回を迎えることになる。長寿連載中、僕はまだ読者の方々にきちんと自己紹介をしていないことに気づいた。

いろいろな川柳誌に、どうして「霜石」のような変な名前になったのかを告白したことはあるが、今回、新年を迎えるに当たって、きちんと仁義を切らせてもらうことにする。

―お控えなすって。私、生まれも育ちも津軽・弘前。富田のシツコ(清水)で産湯をつかい、姓は高瀬、名は霜石と申します。オヤグ(親戚)に、黒石の出で、後に、東京で活躍した長谷川霜鳥(そう・う)なる川柳人がおりました。霜鳥は、世間から川柳の神様と謳われた、龍飛崎に碑もある川上三太郎の直弟子だったこともあり、青森県では著名な川柳人の一人でした。

私、生まれつきの泣き虫。ジグナシ(弱虫)、優柔不

 

断の三拍子揃った者です。霜鳥は、昭和六十年に世を去るのですが、偶然にその次の年、高校の先輩である渋谷

伯龍さんに、悪の道、オット間違い、川柳の道に無理矢理引きずりこまれてしまったのです。

当時の弘前川柳社の主幹であった、故宮本紗光先生が、ペーペーの私に、直々に名前を付けてくれるというから、ビックリ、ドッテン。私の会社の当時の屋号は「東光商会」といったので、それに因んで「東石」とどうかとおっしゃる。もう一つの候補が、霜鳥の縁での「霜石」。さてどっちを取るかで、悩んだこと、悩んだこと―。

正直、どっちもイマイチで、かといって断るわけにもゆかず。まず、音が悪いでしょ。「トーセキ」はいかにも腎臓が悪くなりそうだし、「ソーセキ」は恐れ多くも、日本一有名な文豪と同じ音だから、困った。

六月に開催される「第三十五回全日本川柳2011年仙台大会」で、僕は選者を務めることになった。一世一代の大舞台である。もし川柳双六があるとすれば、ある意味「上がり」かもしれない名誉なことである。

新年、久しぶりにスーツを新調しようか。