私は田舎生まれの田舎育ちである。

物心ついた頃にはどこの家にも縁側があり、ちょっと時間があれば、縁側に腰を掛け一服したものだ。すると近所のおじさん、おばさん達が寄ってきて世間話に花を咲かせる。そんな話し合いが当時の情報源であった。

そして、家の中にお母さんが居ればお茶を盆に載せて持って来る。お茶うけは大きな丼に山盛りのたくあんが出る。また、お茶やお茶うけが無くてもあたり前だった。

話題は豊富で、昔話から人の生い立ち、子供の話まできりがない。

それが今はどうだろう、家も近代化に建て替えられ、縁側のある家は一軒も無い。建物の近代化ばかりではない、生活もオール電化とかで更に手を加え、年寄りには住みにくい。どこもかしこもスイッチばかりである。

勿論縁側など影を消してアルミサッシで密閉された中での生活である。

驚いた話だが、近所の火事の時カーテンを開けて初めて火事に気付き腰を抜かした話もある。

而し嬉しい話もある。

私の実家であるが、両親が死去して暫く空き家であったが、六年程前から長女夫婦が停年退職後移転して来た。

縁側 そして、古い家であった為、家の再建を自力で始め、勝手場、風呂、便所、屋根様式等全部自力でやり直した。そのついでに縁側を造った。花の職人で小さな温室まで造り、蘭の勉強をするのだと張り切っている。私も花と縁側が好きで、時間をつくって縁側へ行き、花談義に余念がない。