静岡川柳たかねバックナンバー
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霜石コンフィデンシャル76   高瀬 霜石

「カルシウムの逆襲」
 
 僕は丑年生まれ。つまりは年男。還暦。
 還暦になるとあっちこっちにガタがくるとは聞いていたが、やっぱりちゃんときた。 突然右肩が上がらなくなったのだ。普段まったく運動しないのが、ちょっと重いものを持ったりしたこともあり、これは筋肉痛か、五十肩。いや六十肩が。冷やせば二〜三日で治ると思い、まずは湿布した。
 たいていの人は、一度や二度はギックリ腰をやったことがあるだろう。僕のギックリ腰の「初体験」は、これも年男の二十四歳の時だった。当時は、春の声が聞こえると「雪切り」という作業をした。厚い氷をツルハシで割るのだが、ギックンときた。その春、僕は結婚する予定だったからとても恥ずかしかった。先輩が慰めてくれた。「タガセよ。式の前でよかったじゃないか。結婚式の後にギックリ腰じゃあ、もっと恥ずかしいだろう」 以来、腰にはつにかく人一倍気をつけて暮らしてきたのだが、還暦になった途端、突然肩にきたのだった。
 珍しく予定が何もなかった日曜日。冷やしても効果がないので、逆に暖めるのもいいかもと思い、朝風呂に浸かり、痛む肩をゆっくりマッサージした。とても調子がよくなり、嬉しくて缶ビールをキューとやった。調子に乗って、昼も軽くキュー。夜は夜で、たっぷりの晩酌。まぁるで小原正助さん。
 午前二時。肩がズッキンズッキンと痛み、ドドーンと目が覚める。すぐ頭痛薬を飲んで―これが全然効かないから悔しい―夜が明けるまでの長いこと、長いこと。同居人には「ほら、バチが当たった」と笑われ、まさに踏んだり蹴ったり。
 「高瀬さん。これはとても珍しい。といっても、男にはですがね。《カルシウムが溜まる病気》です」と昔から知っているH整形外科の先生がいう。 この病気、女性が百人に対して、男はせいぜい一人くらいしか罹らないのだそうだ。僕はクジ運がいい方だけれども、ここまで当たりがいいとはねえ。 正しい病名は《石灰沈着性腱板炎》。冷やしても、暖めてもダメなんだと。とても痛い注射だっかが、これイッパツでけろりと治ってしまったのには驚いた。
 足りないとダメってのは分かるけれど、溜まってもダメなのですよ。カルシウム。お気をつけ下さい。

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(2009/06/29(Sun) 15:01:52)

霜石コンフィデンシャル75   高瀬 霜石

「衝 撃 の 告 白」
 
 本誌の1月号に、ホンダの組み立て工場のある鈴鹿へ行き、体験ツアーに参加した(11月半ば)事を書いた。そしたら12月始め、いきなりF1レースからの撤退宣言。あれは驚いた。今回はその続き。
 運転席と助手席はシートベルトをするけれど、後部座席はまずしないでしょ。最近、高速道路では義務づけられたけれども、一般道では、なるたけした方がよいですよという程度で、罰則も罰金もないはず。
 でも、実際に急ブレーキをかけた試乗車の後ろに乗ってみると後ろもかなりの衝撃。体重の軽い人はフロントガラスへ一直線に飛んでいくだろうし、重い人は自分の重さで自分の骨を間違いなく折るだろう。必ず、必ず、後部もシートベルトをしないとダメと知った。
 そこのあなた。ひょっとして、事故が起きてもエアバッグ(正確には、SRSエアバッグ)が守ってくれるから大丈夫なんて思っていませんか?
 このSRSは、サプリメント・レストレイント・システム(補助拘束装置)って意味なんだとさ。つまり、エアバッグはあくまで脇役。とにもかくにも、シートベルトが絶対の主役と覚えておいて下さいませ。
 エアバッグが作動するのを体験した人はあまりいないだろう。とにかく、もの凄い音なのだ。作動するとか、開くとか、そんななまやさしいものじゃない。
 破裂!爆発!と言った方が正しい。プーンと火薬が匂うからなおさらだ。心臓が悪い僕は、死ぬかと思ったくらい。そしてこんな実話を思い出した。
 「むかし戦争で耳が聞こえなくなった一人のお爺さんがいた。子供や孫が勢揃いし、耳の手術のためにお金を集めた。医学の進歩もあって手術は無事成功。そのお祝いのパーティで、シャンペンをポンポン抜いた。その音を聞いてお爺さんはびっくり仰天。トラウマというやつか、心臓麻痺でポックリ逝っちゃった……」
 実験が終わった後にこっそり係員に尋ねた。「この音じゃあ、たとえ事故で助かったとしても、心臓麻痺で死ぬんじゃないの?」係員はにっこり笑って、僕に答えた。「お客様。大丈夫です。事故が起きた時は、それはそれはスゴォーい音がします。エアバッグの音なんざあ屁でもありませんよ」だと。
 待ちに待った春。でも、スピードは禁物です。
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(2009/05/29(Thu) 14:58:34)

霜石コンフィデンシャル74   高瀬 霜石

「不撓(投)不屈(靴)」
 
バラク・オバマ新大統領の人気は凄い。 支持率が低迷しても、なんだかわけの分からないことを言っている我らが宰相とつい比べてしまい、あーうらやましいと思ったのは、僕だけではないでしょう。そして、そして、ブッシュ前大統領の引き際も、またえらく影が薄かったですなあ。
 ご記憶でしょうか。バグダッドの記者会見で、ムンタゼル・ザイディなる記者が、ブッシュ大統領に靴を投げつけたこと。「あれは我が社の製品。自分でデザインしたものだから間違えるはずがない」と、トルコのとある靴メーカーが名乗り出たら、すかさずイギリスとアメリカの販売会社から十万足以上の注文がきたのだそうだ。こうなるとその靴メーカーの社長も鼻息が荒くなる。「ブッシュは職を退く前にようやくよいことをした」とのたまったそうだ。
 余波は続いた。投げられた靴には、なんと1千万ドルの(円じゃないですよ。とても本当とは思えない)値段がつき、さらに、今年生まれたアラブ人の子供の名前には「ムンタゼル」が大人気なのだそうだ。

靴投げに残念賞を捧げたい     宇都幸子

 僕は今、東京や大阪の川柳誌で選をしたり、選評を書いたりしているが、その中で出会った句。作者はどうやらブッシュが嫌いらしい。ブッシュに当たらなかったから「残念賞」なのだろう。しかし、アラブ人から見れば、これは正しく「敢闘賞」か「殊勲賞」ものだ。真っ直ぐブッシュめがけて飛んでいった空気力学観点からすれば、この靴メーカーには「技能賞」の声がかかったりもする。このように、いろんな角度から様々な視点で覗き、スパッと切り取るのが、川柳。
 私事だが、FMアップルウェーブで、月曜から金曜日までの午後三時から十分ほど、世間のお耳を汚している「霜石のやじうま川柳」なる番組がある。開局当初から、相方の倉田和恵アナウンサーと二束三文、オット間違い、二人三脚でやってきたが、この三月でなんと十年目に突入するのだ。回数も、二千五百回ほど。いつ辞めてもいいと思っているが、もうちょっと続きそうではある。リスナーの皆様から、靴を投げ付けられないよう努力して参る所存でありまする。
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(2009/04/29(Tue) 15:08:57)

霜石コンフィデンシャル73   高瀬 霜石

「私は干物になりたい」

 去年も、120本ほどの映画を観ることができた。僕の周囲の全ての皆様のお陰だと、感謝している。ときおり、あまりカンケーのない人からも、「映画観るヒマも、ジェンコもあって、いいでばしー」 と言われたりもする。「ヒマは作るもの。ジェンコだって、1本千円として、月に1万円。パチンコだの、ゴルフだのと比べたら、格段に安いべな」などと、反論したりしていたが、最近はそんな野暮なことはまず言わない。「そですネ。オラはシアワセ者です」などと呟き、宮沢賢治風に、いつも静かに笑っているのであります。
 モントリオール映画祭でグランプリに輝いて一躍有名になった「おくりびと」は、納棺師の物語。2月になると、いろいろな映画賞が話題になるが、今年の日本アカデミー賞の主演男優賞は、モッくんこと本木雅弘にまず間違いがないと感じた。それほどの演技であった。
 ついでに、いつもはクサイ芝居の山崎努も――「クロサギ」というとても出来の悪い映画にも出ていたが――今回はよかった。助演男優賞当確か。個人的には、12月号に書いた「三本木農業高校、馬術部」で先生役をやった柳葉敏郎にあげたいですがねえ。
 ついでのついでに書くと「おくりびと」の唯一の失点は、奥さん役の広末涼子だろう。映画を観るとたいていその女優のファンになってしまうほど僕は惚れやすいのだが、彼女は一度もいいと思ったことがない。
 葬儀社に勤務し、納棺の仕事に携わった体験を綴った『納棺夫日記』(著者は青木新門という詩人)なる本に、「30年以上前には自宅死亡も多く、枯れ枝のような死体によく出会った」とある。
 事故死などを除いて病院での死亡が当たり前になった今日では、ぶよぶよした死体が多くなったとある。
 口から食べ物がとれなくとも点滴で栄養が補給されているために「晩秋に枯れ葉が散るような死」が姿を消してしまったという。
 自宅死亡は望むべくもないが「私は枯れ枝のような死を選ぶ」と著者は言う。僕も同感だが、それって遺言に書いても「後の祭り」だろうし、さて困った。
 

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(2009/03/29(Sat) 14:51:40)

霜石コンフィデンシャル72   高瀬 霜石

「どうにも止まらない」

僕の生業〈自動車部品販売業〉の関係で、ホンダ技研の本拠地、三重県・鈴鹿市へ行って来た。
 1日目は、自動車の組み立て工場「鈴鹿製作所」の見学。とにかく広い。敷地は27万坪だとさ。働いている人は9千人だとさ。だけど、工場内に人はまばら。
 鉄板のプレスとか、溶接とか、塗装とかは全部ロボットがする。大方できあがったクルマの中へ、座席を据え付ける―重い座席をひょいと持ち上げ、ドアの部分(ドアは最後の最後に付ける)から、90度くらいひねって中に上手に押し込みセットする―のもロボットの仕事。人間さまは、ネジを締めるだけ。
 重いタイヤを取り付けるのもロボット。同じように、ネジ締めてOK。クルマはロボットが作っていると言っても過言ではない。
 その夜の懇親会。美人の司会者が、乾杯の音頭は本日のスペシャル・ゲストがとりますと言うので、誰が出てくるのかと期待したら、舞台の袖から登場したのは、なんとホンダのロボット《アシモ君》であった。
 懇親会と言っても、次の日は朝早くから「試乗体感ツアー」があるから、酒はほどほどにする。
 2日目。4人一組で車に乗り込み、交替で運転し、いろんなカリキュラムを体験するのだが、まずは、雨の道路(常に路面がジャブジャブ状態)を時速40km で走り、思いっきり急ブレーキをかける。はたして何m走って止まるだろうか、の実験だ。
 我々中高年は、ブレーキをドンと踏めない。そう教わって、ずーっとそうしてきたから、身体に拒否反応がある。今の車には、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が付いているので、ドンと踏んでも、車がケツを振ったり一回転したりはしないので大丈夫だと、頭では判っているが、とても怖い。
「親の仇だと思って」、今ならさしずめ「社会保険庁だと思って」思いっきり強くブレーキを踏む。
 4〜5mでどうにか止まる。次は、時速60kmで突っ込み、急ブレーキ。制動距離は12mまで延びる。
 いよいよ雪道(これも常に路面がシャーベット状態)
である。時速40kmで走り、急ブレーキ。ABSがググッと反応するが、車はアレー止まらない。滑るは、滑るは、なんと30m。身体がギュッと縮こまる。
 冬は特に安全運転。自分のためにも他人のためにも。
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(2009/02/29(Sat) 14:50:10)

霜石コンフィデンシャル71   高瀬 霜石

「エ コ ひ い き」

「三本木農業高校、馬術部」を観た。とても、いい映画であった。主演は、長渕文音。この娘の父親は、カリスマ歌手の長渕剛。母親は、かつて千葉真一が主宰したアクション俳優養成所(JAC)の女優第一号だった志穂美悦子だが、まあ、それはどうでもいいこと。
 長渕文音は、いわゆる美少女ではない。お母さんの方がずーっと美人なのだが、この映画では、それがかえってよかった。そのへんにいそうなフツーの女の子が、障害がある分、気難しい馬の世話をしながら、苦労もし、ちょっぴり恋もしながら、じょじょに大人になってゆく、さわやかな青春物語である。
 彼女が世話をするタカラコスモス(通称、コスモ)は、目に障害があるが、生かされている。一方で、足を骨折した馬は、薬殺されるのが運命だ。
 僕は前々から、この「競争馬の安楽死」が理解できなかったのだが、実はこういうことなのだ。
 体重が四、五百キログラムもある馬。農耕馬のような頑丈な馬ならまだしも、ひたすら速く走るように、つまり精密機械のように《作られている》競争馬は、残った三本の足でその重量は支えられず、蹄が血液循環障害を起こして壊死してしまうのだそうだ。このため、馬は耐え難いほどの痛みに狂い死にするか、衰弱死してしまうという。これは、やっかいだ。
 それなら足に負担をかけないように、人間のように横になって治療を受けさせればよさそうだが、馬は寝返りを打てないので、すぐ床擦れを起こし、敗血症になってしまうので、これも駄目。競争馬自身、自分が動けない状態というのをまったく想定していないので、ストレスが溜まり、馬にとっては命取りになる腹痛を引き起こすという。まさに八方塞がりだ。
 この映画、最近の邦画によくある安易なお涙頂戴映画ではないのは、ひとえに佐々部清監督の手腕であろう。特に、先生役の柳葉敏郎がよかった。
 この人の演技は、いつも固いというか、力が入り過ぎて困ったものだったが、今回はまるで違った。
 青森県が舞台だったから「依怙ひいき」だろうと思う人がいるかもしれないが、それは違う。
 まあ、しいて言えば、三本木の《四季の美しさ》と、柳葉敏郎の《自然》な演技に対しての、ごくごく素直な「エコひいき」と思ってください。
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(2009/01/29(Wed) 14:48:05)

霜石コンフィデンシャル70   高瀬 霜石

「味 な 贈 り も の」

どんな本で読んだかは、もう忘れてしまったが、小学生の女の子が書いた作文でこんなのがあった。
 台所の隅にまだ使っていないまな板があったので、これはいつから使うのかと、彼女は母親に聞いた。母親は、その新しいまな板は、事情があって、今はまだ使えないと言う。それは、おばあちゃん(母の母)からの贈り物だという。その時は不思議に思ったけれど、あとで理由がわかった。
 がんの再発で入院することになり、もう家には戻れないことをさとったおばあちゃんが、娘(この作文ででの母)にまな板を渡して、こう言ったそうだ。
「もし、私が死んだら、みなは忙しいから、私のことなど思い出すこともないだろうけれど、でも、台所でまな板をトントン叩くと、きっと私のことを思い出してくれるんじゃないかしらねえ」
 母親は、その言葉を聞いて泣いてしまい、何も言えなかったそうだが、この作文の小学生の少女は、最後にこうまとめていた。
「人間は、人生の最後に自分の家族に何を残せばいいのだろうかとふと考えました」
 九月の初め、僕より二つ年上のMさんが、突然亡くなった。M先輩は博学多才で、世事に疎い僕に、世の中の仕組みをいろいろ教えてくれた先生でもあった。
 昔むかし、青年会議所(JC)に所属していた頃、「好きなラーメン屋」のアンケートをとったことがあった。飲んだ後の参考にしようとの下心もあった。
 M先輩の答に「薮きんの中華そば」とあったので、当時まだ青臭かった僕は、先輩に尋ねた。
「M先輩。《藪きん》は、オラもよく行きますがねえ。あそこは、一応、日本蕎麦屋ですよねえ」
「タガセ。まず、一回食ってみろ。話はそれからだ」
 以来、二十数年。週に最低一回は通っている《藪きん》である。もちろん中華そばばっかり注文しているわけではないが、中華そばのインパクトは強い。
 M先輩が亡くなったと知った次の日の昼、《藪きん》で中華そば食おうと思って、暖簾をくぐった瞬間、ふとこのことを思い出したのだ。
「おい、タガセ。俺はお前にいっぱいモノを教えてきたが、とどのつまり思い出すのは、中華そばだけかよ」と、天国であきれていることだろう。合掌。
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(2008/12/29(Sun) 14:45:33)

霜石コンフィデンシャル68   高瀬 霜石

「キーホルダー」

僕の会社は、今年で創業六十年になる。一般に会社の平均寿命は、約三十年といわれている。今日までの長い不況のトンネルと、もの凄いスピードでの環境変化の激しさを加味すると、実際はもっと短くなっていると思うが、とにかく六十年はたいしたものなのだ。
僕は二代目。戦後間もなく、満州から引き上げてきた父と母が、その頃はまだ珍しかった自動車の部品を商った。当時は、自家用車は余程の金持ちじゃないと無理で、街を走っていたのは、バス、ハイヤー、タクシー、公用車、稀に大きい商店の宣伝用の車くらいだったという。
父が三十年、僕が三十年、会社は細胞分裂もせず、ずーっと一店舗。「小さくても元気」「少数精鋭」の心意気でやってきた。
僕が社長になってからは、給料は勿論、ボーナスも前年より下げたことがないのが自慢といえば自慢だろうか。但し、据え置きはありますよ。定着率がいいので、お客様からの信頼度も高く、今のところ歯車は順調だ。
数年前のある日のこと。十年選手の一人が突然辞めたいと言ってきた。去る者は追わず主義の僕だが、気立てのいい若者なので話をじっくり聞いた。
仕事に不満はないが、転身したいと言う。そういうことなら、気持ちよく送り出すしかなかった。それから約一年後、彼は自殺した。
「おたくを辞めてからは、どこへ勤めても長続きしなかった」と言う僕と同い年くらいのご両親の言葉に、僕は引き止めなかったことを後悔した。
 彼は、鍵がいっぱいのキーホルダーを、いつもこれみよがしにベルトにぶら下げていたのを、ふと思い出した。
 「バカヤロー。あんなに沢山あった鍵の束の中に、ひとつくらいお前の未来の扉を開ける鍵がなかったのかよ」と遺影に向かい、胃の腑で叫んでいた。

 キーホルダーじゃらじゃら軽いいのちかな 霜 石

 それから一年が過ぎた。ある新しい温泉ホテルの開館前のセレモニーに招待された。風呂、部屋、料理、接客サービスなどの意見を聞かせてくれというのだ。モニターだから、当然無料。大手を振って出かけた。
 大広間での懇親会で、偶然彼のお母さんと遭った。すぐに彼女は僕にお酒を注ぎに来た。友達が気晴らしにと誘ってくれたので、重い腰を上げたのだと言う。
 彼の思い出をぽつりぽつり語り合っているうちに、彼女は泣き出した。楽しいはずの宴会場で、中年男が中年女を泣かせているのはいい図ではない。こういう時は、つい優しい言葉をかけてしまうが、これが実はいけない。シクシクが、オイオイになってしまうからだ。子に先立たれた親の気持ちは誰にも判るはずがない。あれ以来、温泉に浸かると、彼女の大きな涙粒を思い出す。

 母さんの涙に勝てるわけがない      霜 石

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(2008/10/07(Mon) 13:38:23)

霜石コンフィデンシャル67   高瀬 霜石

「悲しきシャトルバス」
 
友人に誘われて、あの有名な大曲の花火大会に行ったのは、数年前の8月のこと。凄かった。
 今年は、浮世の義理で「古都ひろさき花火の集い」の券を買ったので行って来た。あまりのヒドサに腹がたったので、今後の参考までにお知らせする。花火の数とかスケールのことではない。その「心根」の話である。
 時は、平成20年6月21日(土)夏至の日のこと。
 前半は省略。帰りのシャトルバスが事件の発端。帰りのバスが混むだろうから、あらかじめ百円の切符を買って、早めに列に並んだのが9時頃。オラの前にはすでに百人くらいは並んでいて、その後もドンドン増え、見る間に長蛇の列になっていった。
 ふと坂の上の方を見上げると、ズラリ帰りのシャトルバスが待機している。こんなに待っている人が大勢いるのに、バスもちゃんと待機しているのに、なぜ乗せないのだろうと思い、列の先頭の係りに尋ねた。
「9時半にならないとバスは出ません」の一点張り。帰りたい人がこんなにいて、しかもバスも待っているのだから、順番に出せばと言っても、けんもほろろ。「分かった。では待つけど、子供も年寄りもいるのだから、こうして外で待たせていないで順番にバスに乗せれば。そして時間になったらすぐに出ればいべさ」と交渉したが、規則だからと、つっけんどん。
 やっと、9時半。それでも出ない。再度行きました。「花火が終わるまでは出せない。あなたの要望は来年の課題にします」と言う。人より花火が大事らしい。バカでねが!これには、普段温厚な動物であるオラも、さすがに頭にきて、吠えた。
「来年? 何喋ってるんだ。今ここに並んでいる人たちは、来年ここに来るわげねーべ」このやりとりを聞いていた皆から、そうだそうだの大合唱の応援を得て「来年でなぐ、今、考えて、今、行動しろじゃ」
 この後、実は、列の最初に並んでいた人たち(オラを含めて)が、アホな誘導員のせいで暗闇に置き去りにされる。バスには後から来た人がどんどん乗り、ミニ暴動が起こるのだが、書き切れないのでカット。
 まずルールありきで「ハート」がまるでない。弱者に思いやりゼロ。肝心な時に責任者がいない。どこかでみんな聞いたフレーズ。社会保険庁や厚生労働省の答弁と瓜二つだ。どうりで血が通っていないわけだ。
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(2008/09/29(Sun) 14:40:10)

 

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